東京五輪はどのような意味あいを持つもよおしなのだろうか―東京五輪の見なしかたと歴史修正主義

 人類の全体の団結をあらわすもよおしにする。新型コロナウイルス(COVID-19)に人類がうち勝ったことをあらわすもよおしにする。二〇二一年の夏に予定されている東京五輪について与党である自由民主党の政治家たちはそう言っている。東京五輪をそういったように見なすことはふさわしいことなのだろうか。

 東京五輪そのものがあり、それにたいして正の意味づけを行なう。正の含意をもたせる。それは東京五輪そのものをそのまま見なすものだとは言えそうにない。受けとるほうの思わくや意図が入りこんでいる。それによって東京五輪の見なしかたが汚染されることになる。見かたにゆがみが入りこむ。

 正の含意を東京五輪にもたせることをしているのが与党の政治家たちだ。それをしている与党の政治家たちが持っている意図とは何だろうか。その意図をうかがい知ろうとすれば、そこには与党の政治家たちによるごまかしの思わくがある。そう見なしてみたい。

 何を与党の政治家たちはごまかそうとしているのかといえば、それは自分たちの失政だろう。与党の政治家たちにとって都合がよいように歴史を修正する思わくをもつ。失政の穴が空いているのにフタをするためにあるのが東京五輪だ。穴をそのままにしているとまずいのでそれにフタをして隠す。

 正の含意を東京五輪にもたせることとは別に、政治においてやらなければならないことがあるとすれば、それは客観の歴史のふり返りだ。政治においてどのようなことがウイルスの対策として行なわれたのかを十分に力を入れてふり返る。政治で行なわれたことで悪かったところやまずかったところを主としてとり上げて行く。政治で行なわれたさまざまな負のことがらのとり落としがないようにしたい。

 商業のねらいが大きいのが五輪のもよおしだ。商業主義におちいっている。肥大化している。そこに与党の政治家たちが自分たちに都合のよい意図をこめることでますます東京五輪のとらえ方が汚染されることになる。与党の政治家たちは自分たちに都合のよいような勝手な意味づけを東京五輪にこめないようにして、せめて東京五輪のとらえ方が少しでも汚染されないようにしたい。

 東京五輪のとらえ方が汚染されたりゆがんだりしないようにして、それとは別に政治で行なわれた負のことをごまかすためにおおいとなるフタをしないようにしたい。フタがされるのであればそれを引きはがすようにして、その下にいろいろにある穴を見つけて行く。いろいろな穴が空いているのを隠したいがために、与党の政治家たちは東京五輪のとらえ方を汚染させたりゆがませたりしているのにすぎない。与党の政治家たちが持っている思わくをかんぐることができるとすればそう見られる。

 日本の社会が抱えているいろいろな穴を見つけていって、そこに穴が見えなくなるフタをしないようにしたい。フタをしてしまうと歴史を修正することにつながりかねない。日本の国が抱えているいろいろな穴を無いことにしようとするのが歴史修正主義だ。その歴史修正主義をうながしてしまうとまずいから、汚染やゆがみをできるだけ減らしたかたちで東京五輪についてを見なして行く。汚染やゆがみが大きいと、与党の政治家たちに都合のよいようになってしまい、いろいろにある穴にフタがされることになる。汚染やゆがみが大きいままでそのままにされて放ったらかしになる。

 参照文献 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『正しさとは何か』高田明典 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ)