大阪府の府知事がテレビでうがい薬でうがいをすることをすすめたのが別のテレビ番組で肯定に評価されていた

 新型コロナウイルスの感染に手を打つ。世界の色々な国ではそれがうまくできないでいる。その中で日本の大阪府の府知事は積極にその手だてを発表した。うがい薬のイソジンなどでうがいすることがよいのだとテレビで言った。これからもそうした積極のあり方をしていってもらいたい。テレビ番組の出演者は大阪の府知事についてそう言っていた。

 テレビ番組の出演者が言うように、大阪の府知事がテレビでうがい薬でうがいをすることを強くすすめたことは、ほめられるに値することなのだろうか。府知事が言ったことは積極で生産的で建設的なことだということが言えるのだろうか。

 人それぞれで色々な評価のしかたがあってよいのはまちがいない。そのちがいがあってよい中で、大阪の府知事がうがい薬でうがいをすることをテレビで強くすすめたのは、拙速の感をまぬがれないものだというのがある。新型コロナウイルスの感染にどのような手を打って行くかでは、そこに認知のゆがみが大きくはたらくことに気をつけなければならない。

 認知のゆがみが大きくはたらくと、うがい薬であれば、うがい薬でうがいをすることがウイルスの感染にきく、という認知になる。そこには肯定性の認知のゆがみがはたらいているおそれが否定できない。その認知のゆがみは、改めてよくよく見てみれば、否定(反証)される見こみがあるから、もしも否定されることになれば、じっさいには効果がないか、そう大した効果がないということが明らかになる。

 ウイルスの感染にたいして、これがきくのだということを言うのだとしても、そこに肯定性の認知のゆがみが大きくはたらいていることがある。そのゆがみがはたらいているのだとすると、そのゆがみがはたらいたままで政治家がものを言うことで、その政治家が言ったことの内容に多くの雑音が含まれることになる。政治家の言うことを受けとる方としては、多くの雑音が含まれていることを受けとらされるはめになる。それをそのままうのみにすることはできづらい。

 ほんとうに確かだと言えることであれば、卵でいえばきちんとゆで上がってゆで卵になっている。そうではなくて不確かさがあることであれば生卵のままだ。政治家がものを言うさいには、その言ったことがすべて確かなゆで卵になっているとは言えない。不確かな生卵であることが少なくない。政治家が言うことがえてして不確かなのは、最終の結論と言えるものではなくて、はっきりと正しい仮説だとは言えないものであることによる。

 政治家が言うことの発言の内容に多くの雑音が含まれることになるのは、その政治家が自分で大きな認知のゆがみを持っていることによる。政治家はそれに気をつけるようにして、自分が言うことの内容に雑音ができるだけ含まれないように気をつけるべきだ。それに気をつけないのであれば、多くの雑音が含まれたことを受けとる方に受けとらせることになる。そこに欠けているのはものごとにたいする政治家の慎重さであり、きびしく見ればそこに政治家の過失があることはまぬがれそうにない。

 参照文献 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『超常現象をなぜ信じるのか 思い込みを生む「体験」のあやうさ』菊池聡(さとる) 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫