力と自由と、アメリカの大統領選挙

 力と自由がある。そのことについて芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチ氏はこう言ったという。力は強制によって生まれ、自由によって死す。

 力と自由がある中で、力によっているのがアメリカのドナルド・トランプ大統領だと見られる。アメリカは国として力の宗教によっていると言われていて、その力によるのを象徴しているのがトランプ大統領だ。力によって選挙に勝つことに依存しすぎている。勝つことにこだわりすぎている。負けることを認めようとはしない。そこに欠けているのは科学のゆとりだ。

 アメリカの国は競争社会であり、勝つことと負けることとの対照の差がある。勝つことの裏には負けることがある。その差が大きく開いていることで経済の格差がおきていて階層の差がおきている。階層の差が固定化されてしまい、力を得る者と、力を得られないで失う者との差がおきる。力を得られないで失う者は自己責任だとされて、うちひしがれることになり、アルコール依存症などの精神の病がおきてくる。

 競争で勝ち負けを争うことにおいてやっかいなことは何か。それについて作家のジョージ・オーウェル氏はこう言っている。そこでやっかいなことは、誰かが勝たなければならないことだ。政治においては競争が行なわれることはよいものの、それが行なわれたら行なわれたで、よからぬ者が上に立ってしまうことがないではない。そこにはたらいてしまうのは学者のローレンス・J・ピーター氏によるピーターの法則や悪貨は良貨を駆逐するグレシャムの法則だ。

 国の全体がたとえいっけんすると表面としては充実しているように見えるのだとしても、その表面の力の充実のかげには力を得られないで失う者が少なからずいて、そこからうつろな響きがおきてくる。そのうつろな響きをすくい上げることがいる。そこに国の全体の病理が反映されていて象徴化されている。国がもつ空虚さであり、もっとよりつっこんでいえば国がもつ悪や退廃(decadence)の面だろう。

 力(might)よりも自由や正しさ(right)をとるようにして行きたい。民主主義において政治の権力を絶対化しすぎると力によるようになり権威主義専制主義(despotism)に横すべりしやすい。専制だと法による法治ではなく人による人治がとられることになる。多数者の専制がおきると少数者が許容や承認されなくなるのでまずい。

 いかにして力を絶対化させずにそれを和らげて行くのかがいる。それによって力よりも自由や正しさをより高めて行くようにして、自由主義(liberalism)が守られるようにして行く。

 力をよしとして力によりすぎてしまうと抑制と均衡(checks and balances)がはたらかなくなり、一強や一権のあり方になって行く。力が高まることで効率性は高くなるが適正さが損なわれてしまう。まちがった方向に向かって進んでいってしまう。それを防いで行くためには、権力を分立させて分散させるようにして、力を分散させて行く。力を一つのところに集めて一強や一権にするのではなくて、いろいろな自由な言説を許すようにする。

 いろいろに自由な言説を言うことが許されなくて、たった一つの言説だけがよしとされるのだと、自由が死ぬことになってしまい、力が一つのところに集まって行きやすい。そうなってしまうと国がまちがったことを行なうことがおきてくる。

 自由とはいってもいろいろな意味あいをもっているので多義性またはあいまいさがあることはいなめない。その中で自由を高めるためにできることとして抑制と均衡をはたらかせて一つのところに力が集まりすぎないようにすることがあげられる。力を分散させるようにしてお互いに力どうしがけん制し合い監視し合うようにして、政治の時の権力が抜きん出て突出した力を持ちすぎないようにして行きたい。

 国は一つの集団だが、その集団が全体をくまなくおおうようだと全体主義におちいってしまう。それを防ぐためには国の集団が個人を大きく支配してしまわないようにしたい。そこに求められるのは国の集団が個人にへたに干渉や介入しない消極の自由(何々からの自由)だ。国家の公が肥大化して個人の私を押さえつけると個人の自由が失われる。

 たとえ国家の公が大きな力をもつのだとしても、個人の私が押さえつけられて個人の私の自由が失われては意味がない。肝心なことは個人の私がいかに大きな自由をもてるかにあるだろう。個人の私の自由の幅(capability)を大きくして行く。国家の公は個人の私の自由の幅が大きくなることをうながしてそれを支えるためにあるのだと見なしたい。

 現実の日本の国は個人の私の自由を大きくして行くのと逆のことをしていて、それぞれの個人の私の自由の幅を広げようとせずにせばめてしまっている。みな平等に自由なのではなくてそれぞれの不平等さによる階層の格差がおきているのを放ったらかしにしてしまっていることは否定することができづらい。機会(形式)および結果(実質)の不平等さがあることはまぬがれないから、それが正されて改まることがいる。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ヘンでいい。 「心の病」の患者学』斎藤学(さとる) 栗原誠子 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『知のトップランナー 一四九人の美しいセオリー』ジョン・ブロックマン長谷川眞理子