テレビ番組と情報操作―表象と現実

 テレビ番組に若い悪役の女子プロレスラーが出ていた。番組の中でのふるまいについて、女子プロレスラーにたいしてウェブで非難する声が多くおきた。その影響があってか、女子プロレスラーは命を断ってしまったという。

 女子プロレスラーが出ていたテレビ番組はリアリティショーをうたうもののようだが、テレビ番組を視聴するさいに気をつけるべきこととして情報操作があげられる。

 テレビ番組は何らかの形で情報操作が行なわれていることが多い。視聴している人を楽しませようとして、面白い内容にするために、演出が行なわれる。わかりやすい内容にするために、ものごとが記号化されやすい。わかりにくい複雑なものは受けにくいから、単純なものに戯画化(漫画化)されることになる。

 よかれとおもってテレビ番組をつくっている人が楽しさや面白さを生もうとする。そのさいにとられるのが演出ややらせだ。少なからぬテレビ番組ではやらせが行なわれているという見かたがある。たとえにせのものであっても楽しさや面白さがおきればよいとするものだが、それによって利益が生まれるのだとしても、それとともに危険性もまたおきてくる。

 テレビ番組で映されるものは、ほんとうの生の現実がありのままに映されるとは言いがたい。疑似の環境になっていて、表象になっている。その表象が現実のような生々しさをもつことがある。そうなると表象と現実との区別がつきづらくなる。表象と現実がとりちがえられやすくなり、逆転して転倒することになりかねない。

 表象と現実がずれてしまっているさいに、表象において悪玉化されるものが出てきて、贖罪(しょくざい)の山羊になることがおきてくる。贖罪の山羊になるものは排除されることになる。排除されることは現実におきることだから、表象をもとにして現実に暴力が振るわれる。まちがって暴力が振るわれてしまうことがあるから、そうなることがおきないように気をつけたいものである。

 テレビ番組とは話はちがうことだが、過去の日本の歴史においては、関東大震災のときに、国内の朝鮮の人が日本人にたいして危害を加えるというデマがおきた。このデマは真実ではない表象だったものだが、その表象をもとにして現実に朝鮮の人にたいして暴力が振るわれた。このできごとはいまでは風化がすすみ忘却化がうながされている。このできごとを想起するとすると、これによって朝鮮の人だけではなく日本人の中で朝鮮の人だとまちがって見なされた人まで犠牲になった。

 表象に踊らされてしまうことになるとまずいことがおきかねないから、それに気をつけるようにして、テレビ番組を見るさいには、情報操作が行なわれているのだと見なすようにして、あまりうかつにうのみにしすぎず、距離をとっておいたほうが少しくらいは安全だ。

 中には有益なテレビ番組もあるから、ぜんぶが偏っていて駄目だとは言えないが、テレビ番組は通信のしくみによっているために、国家の政治の権力からの介入を受けやすい。開かれているのではなくどちらかというと閉じている。情報操作が行なわれやすい下地をもつ。情報の汚染がおきやすい。情報の中に作為性や政治性や意図が入りこむ。テレビ番組に映される表象と、じっさいの現実とのあいだにずれがおきやすいことをあらわす。

 参照文献 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり)