首相のことを応援するべきかどうか

 首相のことを応援しよう。首相にお疲れさまと言おう。雑誌ではそうしたことが言われていた。

 首相はがんばって政治のものごとに当たっているのだから、応援したほうがよいのだろうか。かりに応援したりお疲れさまと言ったりするのだとして、そのようにすることで何がうながされて何がはばまれることになるのだろうか。

 民主主義では、政治の時の権力をよしとするのではなくて、それを批判して行くようにすることがいる。権力者を権威化するのではないようにすることがいる。うかつに権力者のことをよしとして、応援したりお疲れさまと言ったりしてしまうと、権力者がまちがってやったり言ったりすることを正すことにつながらず肯定してしまいかねない。

 首相にたいして応援したりお疲れさまと言ったりするのは、それぞれの人の自由だから、それをして悪いということはないが、それをすることによって、権力者のことを批判して疑うことがはばまれることになる。権力者のことを批判せず疑わないことになる。

 政治の時の権力者のことをよしとしてしまうことで、まちがった方向に進んで行ってしまい、局所の最適化のわなにはまることはめずらしいことではない。そのわなにはまらないようにして、どのようにしたらもっともふさわしい大局の最適につながるのかといえば、首相のことを応援したりお疲れさまと言ったりすることがその唯一の手だてになるとは言えそうにない。それとは逆に、時の権力者のことをたえず批判して疑って行ったほうが、誤った方向に向かって行ってしまうのを少しは避けやすい。

 時の権力者に応援したりお疲れさまと言ったりするのもよいが、まちがってかんちがいさせてしまわないためにも、それはほどほどにしておきたい。お上にたいして批判や疑いをもつようにして行ったほうが、お上がはなはだしいかんちがいをしてしまうのを防げる。お上をほめてはげましてしまうと、これでよいのだというふうにおもってしまい、本当はよくないのにも関わらず、そのよくない方向にさらに進んで行ってしまいかねない。

 ことわざでは、さるもおだてれば木に登るというのがあるが、お上をおだてることで木に登らせることになり、国民が害をこうむることになったらよくないことになる。政治家はさるとはちがい物理の暴力を持っているのでなおさらたちが悪い。お上をあまりおだてて木に登らせないようにして、地に足をつけさせるようにして、批判や疑いをもつようにしたほうが、あとで国民に害がおよぶのをおさえることにつながる。

 肝心なのは、お上をおだてることで木に登らせることではなく、地に足をつけさせるようにして、たえず批判や疑いをもつようにすることではないだろうか。いたずらにお上をおだてて木に登らせたとしても、お上のまちがったかんちがいが増長するだけに終わってしまいかねない。それよりも、そのかんちがいを少しでも修正させるほうが益になる。お上をおだてて木に登らせることはたやすいが、修正させるのははなはだ難しいことである。

 山を登るさいに、登るときよりも降りるときのほうがより難しいことがあるという。下山するときに事故がおきる。それと似たように、お上をおだてることで木に登らせて、登りつめたあとに、どうやって降りるのかがある。降りさせられなくなったり、降りられなくなったりしてしまう。それで大きな失敗がおきたのが戦前や戦時中だ。途中で降りられなくなったり、登りつめたあとに降りられなくなったりすることがあるから、そのさいに政治において失敗がおきると国民が巻きぞえをくう。

 参照文献 『正しく考えるために』岩崎武雄 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也