病院に行くのや相談をすることの原則論と例外論

 いたずらに病院には行くな。これは改めて見るとややわかりづらいところがある。

 ふつうは、何かあったら病院に行くべきだというのがある。病院に行って医師に見てもらう。

 原則論としては、何かあったら病院に行くことがすすめられる。それとはちがい、いまは新型コロナウイルスへの感染が広がっているのがあるから、例外論として、すぐに病院に行ったり相談をしたりはしないほうがよいのだと言われている。

 原則論についてを改めて見てみると、そこに疑いをさしはさむこともできるだろう。病院に行って医師に見てもらい治療を受けると、国の財政の費用がかかる。国の財政の費用をなるべくおさえるようにするためには、あまりかんたんなことですぐに病院には行かないほうがよい。ほんとうに病院にかからないとならないときに限定する。そうすれば国の財政をおさえる点ではのぞましい。

 国の財政については色々なことが言われているのがあるから、たんに財政の費用をおさえるようにすることだけがよいのだとは言い切れないのはある。色々な説があるから、それらを色々に見て行くことがいるのはまちがいない。

 病院に行くようにするべきか、それともなるべく行かないようにするべきか、相談するべきか、なるべく相談しないようにするべきか。それらを原則論と例外論で見て行ける。それらについて、どのようにするべきなのかが、必ずしもきちんと整理されているとは言いがたい。国民にはっきりとわかるように示されているとは言えないところがある。

 基本として病院に行くようにするべきなのか、それとも行かないようにするべきなのか。基本として相談をするようにするべきなのか、それともなるべくしないようにするべきなのか。基本としてはどちらのほうがよいのだろうか。また、基本としてどう行動するべきかがある中で、それに当てはまる人と当てはまらない人の線引きはどうなっているのかがある。その線引きが十分だと言えるほどには明らかになっていない。

 病院に行くようにしたり相談をしたりするのを広がりとできる。なるべく病院に行かないようにしたりなるべく相談しないようにしたりするのを縮みとできる。広がりがよしとされているのと、縮みがよしとされているのとで、ややごっちゃになってしまっている。そこがやや未整理なのがある。

 いまは広がりのあり方だとまずいから、縮みによるようにするのがあるのかもしれない。それがうなずけるのだとしても、縮みは縮みで、まずいところがないではない。人が放ったらかしになってしまいかねない。縮みのまずさもある。だったら広がりがよいのかというと、そうはできづらい。そういうところがあるのかもしれない。

 参照文献 『「縮み」志向の日本人』李御寧(イー・オリョン) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)