山本太郎代表は正しくて、お笑い芸人はまちがっていたのか―政治家がかたる政策のうさんくささ

 れいわ新選組山本太郎代表が、衆議院の選挙で当選した。国会議員ではなかった山本代表が、ふたたび国会に帰ってきた。

 当選をはたした山本代表は、テレビ番組のインタビューに出演していた。テレビ番組の中で、そこに出ていたお笑い芸人から、批判を受けていた。きびしい洗礼を受けていた。そのことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 消費税を下げて、それそのものをなくそうとしているのが山本代表だ。それにくわえて、積極的な財政の政策をやることがいるのだとしている。そこに批判を投げかけたのが、テレビ番組に出ていたお笑い芸人だろう。

 個人としては、どちらかといえば、山本代表よりも、お笑い芸人のほうに共感をもつ。そのわけとしては、政治家がかたる政策はうさんくさいものが少なくないからだ。山本代表がかたることもその例外ではない。

 政治家がかたる政策をそのまま丸ごとうのみにしてしまうのではなくて、そこに批判を投げかけるようにする。ほんとうにその政策ができるのかや、それをやったらほんとうに日本の国がよくなるのかを、きびしく見て行く。そのようにして、政治家を信用するのではなくて、うたがって行くことがいる。

 政治において政治家が政策をなすさいには、それを絶対に正しいものとして、絶対の善のようにはできづらい。こうあるべきだとのことから、政治家が政策をなそうとするが、そのさいにかくあるべきの当為(sollen)によってつっ走るのは危険である。かくあるべきの当為によってつっ走っていって大きな失敗をしたのが日本の戦前だ。戦争に向かってつっ走って行き、国の内や外に大きな害をもたらした。

 れいわ新選組の山本代表にかぎらず、どういったことが政策論のあり方としてふさわしいのかといえば、よしとする政策を完ぺきに正しいものだとして基礎づけたりしたて上げたりしないことだろう。完ぺきに正しいものだとして基礎づけたりしたて上げたりすると、かくあるべきの当為によってつっ走ることになる。

 政策論として消費税についてを見てみると、それを上げることが絶対の悪で、下げることやなくすことが絶対の善とまでは言えないだろう。絶対の悪とか絶対の善だとしてしまうと、政策論としてはおだやかさに欠ける。過激になってしまい、急進主義におちいる危なさがある。

 マイナスだけだとしたりプラスだけだとすると、政策論としては妥当性を欠く。マイナスとプラスは、逆機能(dysfunction)と順機能(function)だが、それらの片方だけではなくて両方が共にあることが少なくない。あることがマイナスだけなのではなくてプラスもまたもっていることが少なくないし、あることがプラスだけだとするのはマイナスをとり落としていることが少なくない。できるだけ科学のゆとりをもつようにして、マイナスとプラスの両方を共に見て行くようにするべきだろう。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『新版 ダメな議論』飯田泰之(いいだやすゆき)