PCR 検査は益になるのか害になるのかと、科学のゆとりの欠如

 ウイルスの PCR 検査を行なう。検査を行なうことは益になると言われるのと、害があると言われるのとがあった。検査に害があると言われるのには、検査をすることによって日本の医療は崩壊するのだと言われていた。

 PCR 検査をすることが益になるのかそれとも害になるのかがあったなかで、そこでいることは何だったのだろうか。そこで欠けてしまっていたこととは何だったのだろうか。それは科学のゆとりだったのではないだろうか。

 科学のゆとりが欠けていたことによって、変なかたちで政治化することになった。政治化してしまうのは、いろいろなものをひっくるめてものごとを総合化して見ようとすることによる。そこに欠けているのは部分を切り分けた形での分析である。

 科学のゆとりが欠けていることによって、ものごとを腑分(ふわ)けすることが行なわれない。ものごとを腑分けしないで、あれもこれもといったような色々なものを含めた形でものごとを見なす。あれもありこれもありといったことで、それらがごちゃ混ぜになって混ざり合ったなかで、政治における結論となるものが出される。その結論が出されるいきさつには、いろいろなことが関わっていて、しがらみみたいなものが色々にまとわりついているのである。

 いろいろな論点がある中で、それらの論点を分けておく。いろいろに論点を混ぜ合わせてしまわないで、一つひとつを切り分けておいて、一つひとつの論点についてを見て行く。それをするためには科学のゆとりがいるが、それが欠けていた。科学のゆとりが欠けていたために、PCR 検査についてと、医療崩壊についてとが、同じ線の上にあるものとしてとり上げられた。

 PCR 検査が益になるのかそれとも害になるのかを見て行くさいには、あくまでもその論点だけを見て行くようにして、それとはちがう医療崩壊などの論点はとりあえず別のところに置いておく。そうしておいたほうが、ほかの論点に影響されないで見て行ける。

 核心と周辺の二つがあるとして、PCR 検査についての核心のところだけではなくて、その周辺のものも含めてしまうと、見なし方が政治化して総合化してしまう。いろいろな論点が混ざりこんでしまう。それを避けるようにして、核心と周辺の二つを切り分けて、周辺はとりあえずわきに置いてしまって捨象する。核心のところだけを見て行く。核心のところを見て行って、PCR 検査がどのような機能をもち、どのような構造なのかを見て行けばすっきりとする。

 プラスとマイナスとゼロがあるとして、ものごとを見て行くさいには、プラスとマイナスの中間にあるゼロの中立のところで見て行くことが大切だ。PCR 検査についてを見て行くさいには、プラスやマイナスによりすぎずにゼロの中立のところから見て行ければよかった。

 PCR 検査には害があって、それをすると医療崩壊がおきるとするのは、PCR 検査そのものであるよりは、どちらかといえば医療崩壊がマイナスを含意していた。医療崩壊がマイナスの含意をもつことに引っぱられて、PCR 検査のとらえ方がマイナスにゆがんだ。ゼロの中立から離れていった。そう見なせるのがあるかもしれない。

 一か〇かや白か黒かの二分法では割り切れないのがあるとすると、プラスにもマイナスにもよりすぎず、ゼロの中立のところから PCR 検査についてを見て行ければよかった。プラスの仮説を絶対化するのでもなくて、マイナスの仮説を絶対化するのでもない。絶対論によるのではなくて仮説による相対論によっていたほうがよかった。

 PCR 検査には害があって、それをすると医療崩壊がおきるとするのは、PCR 検査を黒だとする仮説であり、絶対論によっているところがある。まちがいなく PCR 検査は黒だから、検査をしないほうがよいのだとは言えそうにない。白と黒のあいだの灰色のところを見て行くようにしたい。

 具体論と抽象論を分けて見てみられるとすると、抽象論においてはこう言えるだろう。もしもそれが益にはたらくような検査であるのならば、それは行なわれたほうがよい。理想論といえる全体の最適(global optimal)にはたとえならないのだとしても、部分の最適(local optimal)にはなるのであれば、その検査は行なわれてもよいものだろう。

 じかに具体論によって、PCR 検査がプラスなのかマイナスなのかを見るのではなくて、抽象論によるようにして、益になるような検査をとり上げてみる。益になる検査であればそれが行なわれたほうがよいのがあるから、まずその大前提となる価値観をはっきりとさせておく。

 はたして抽象論による大前提となる価値観に、具体論として PCR 検査が当てはまるのかどうかを見て行く。判断のものさしをしめす。そこでは意見が分かれるだろうが、かりに、それなりには PCR 検査は益になるのだと言えるとすると、やらないよりは少しはましだといったことで、どちらかといえばやったほうがよいものに PCR 検査は当たるのだと見なせる。

 いきなり具体論によって PCR 検査はプラスかマイナスかを見るのではなくて、いったん抽象論によるようにして、なおかつ医療崩壊などのほかの論点を混ぜこまないようにする。できるだけプラスやマイナスの含意によらないようにして、なるべくゼロの中立によるようにする。それで大前提の価値観をとり、判断のものさしをしめし、当てはめを行なう。そのように順を追って段階をふんで PCR 検査が益になるのか害になるのかを見て行ければよかったのがあるかもしれない。

 順を追って段階をふんで行かずに、科学のゆとりが欠けた中で、PCR 検査がプラスかマイナスかを見てしまうと、プラスやマイナスの含意が強くこめられてしまうことになりやすい。いったんプラスやマイナスの含意がこめられてしまうと、そこからゼロの中立にもどすことはできづらく、認知がゆがんだままになりがちだから気をつけたい。プラスと見るにせよマイナスと見るにせよ、いったん肯定性(確証)の認知のゆがみがはたらくと、その信念がどんどん補強されてしまい、修正がききづらいことがしばしばある。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき)