店の営業の自粛と、危険性と利益のかね合い

 店の営業を自粛するか、営業をつづけるか。これをデジタルの二分法で見てみられる。

 法によって店が営業をするのが禁じられているのなら、それに反すると具体の義務に反することになる。

 具体の義務は法によって明示されているもので、完全義務だ。努力義務はそれをしなくても必ずしも悪いとは言い切れないもので、不完全義務だ。努力することができるに越したことはないから、それができたほうが(できないよりは)よいのはある。

 法によって店が営業をするのが禁じられてはいないのなら、営業をしつづけても具体の義務に反するとまでは言えなくなる。営業を自粛することは努力義務に当たる。そう努力せよということだ。努力に加えてまわりからの空気による圧力もはたらくことがある。

 どのような意味においてそれがよいまたは悪いのかでいうと、法によって店が営業をするのが禁じられていないのであれば、法として悪いとは言い切ることはできづらい。法として悪いのなら、具体の義務に反しているから悪いということになるが、そのさいに悪いことをしたら、あらかじめ定められている罰を受けることになる。罰としては一定の罰金を払うなどがある。

 デジタルの二分法ではなくて、アナログの連続による見なし方もなりたつ。連続によって見てみると、デジタルのように、営業をやめて自粛するか、それとも営業をしつづけるかの二つだけではないことになる。もうちょっと幅が出てくる。

 新型コロナウイルスへの感染が広がっている中で、ウイルスへの対策をまったく何にもしないでいるのなら、初期の状態のままだ。その初期の状態から、ウイルスへの対策をとり入れるようにすれば、初期の状態から少しは脱せられる。

 ウイルスへの感染にまったく気を使わないで営業をすれば、初期の状態のままで営業することをあらわす。そうではなくて、ウイルスへの感染に少しは気を使うか、またはできるだけ気を使うようにして営業をするのなら、初期の状態からは脱している形で営業をすることになる。

 ウイルスへの感染に気を使ったとしても、それで初期の状態から脱せられはするが、理想と言えるほどの状態にまではいたりづらい。ウイルスへの感染がまったくおこらないという理想といえるほどの目標の状態にまではいたることは見こみづらい。

 店としては、継続企業であるゴーイング・コンサーンがあるから、店をつぶすわけには行かず、できるだけつづけて行きたいのがある。利潤を生み出して行く。それと共に、ウイルスへの感染がおきないようにしなければならない。

 店をつづけて利潤を生み出して、ウイルスへの感染もおきないようにすることを、共にやって行く。そのさいに、しばらく営業をやめて自粛をすれば、ウイルスへの感染の危険性をなくすことはできる。そのかわりに店の営業をすることで得られる利潤が見こめない。機会を得る(チャンス・ゲイン)ことができず、機会が損失される。

 危険性と利益とのかね合いがある中で、危険性をなくせば利益を得られなくなり、利益を得ようとすれば危険性がおきてくる。そこで、店の営業をつづけるのであれば、危険性を減らしつつ利益も得ようということになる。危険性を減らすとはいっても、危険性はあくまでもあるから、そこの危なさがあることは否定できない。

 参照文献 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『もっと早く受けてみたかった 法律の授業』浜辺陽一郎