お店でお酒を飲むことは、ウイルスの感染をまちがいなく広げることになるのか

 お店でお酒を飲む。それがウイルスの感染をまねく。そこからお店でお酒を飲むことが禁じられる。

 お酒についてを機能と構造の点から見てみられるとするとどういったことが言えるだろうか。

 できるだけ中立な点からお酒についてを見てみたい。お酒を飲むことに悪い含意をこめるのではなくて、中立の点から見てみられるとすると、お店での安全なお酒の飲みかたといったものがありそうだ。

 すべてのお客さんがお店において安全なお酒の飲みかたをすれば、お酒を飲むことは安全だろう。あたかもお酒ではないかのようにお酒を飲めば安全性は高そうだ。

 逆の点から見てみれば、あたかもお酒であるかのようにお酒ではない飲みものを飲めばそこに危険性がおきてくる。お酒らしくお酒ではない飲みものを飲めばお酒のような危険性がおきてくる。

 お酒らしくなくお酒を飲むようにすれば、お店でお酒を飲んでもそれほど危険ではないだろう。お酒らしいお酒の飲みかたをつつしむようにする。

 さわがしくしないようにして、しんみりとお酒を飲む。そうすれば危険性は低そうだ。たとえお酒を飲むのではないのだとしても、さわがしくわいわいがやがやとふつうの飲みものを飲んだとしたら、そこにはお酒と同じような危険性がおきることになる。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染を広げてしまうような危ない飲みかたをされがちなのがお酒なのだろう。お酒が危ないのは、型(pattern)として見たさいにそう言えるのがある。

 型とは、だいたいにおいて、おおむねそれが起きやすいことをしめす。いちおう、わりあい起きやすい。それがおきることもあればおきないこともあるが、四捨五入するとどちらかといえばそれが起きやすい。そういったものである。厳密なものではない。

 型として見ると、お店のなかで危ないお酒の飲まれ方をされることがしばしばある。だからお店でお酒を飲むことを禁じる。危ないお酒の飲みかたも、危なくないお酒の飲みかたも、すべてをいっしょくたにしているのだ。いっしょくたにしている中に危ないお酒の飲みかたが含まれているのだ。

 危なくないお酒の飲みかたはできるのかといえばそれはできる。それができるのは、原因から結果が引きおこる因果関係のように、お酒を飲んだら必ず危険性がおきるのではないからだ。お酒を飲んでも危険性がないことはあるが、危険性がある飲みかたをするおそれがあるので、まとめてお酒を飲むことを危険なことだと見なす。

 すべての人がお店のなかで安全なお酒の飲みかたをすれば、お酒は危険だとは言えそうにない。安全性をいちばんに優先させると、あまりお酒らしくないお酒の飲みかたになる。お酒に期待していることを裏切った形でのお酒の飲みかたとなる。

 お酒ではないふつうの飲みものに期待されている飲みかたを裏切った形でふつうの飲みものを飲めば、ふつうの飲みものであったとしても危険だ。お酒が持っている型のようにふつうの飲みものを飲めば、お酒を飲むのと同じように危険性がある。

 お店でお酒を飲むことを禁じることのマイナスの点としては、お店で安全にお酒を飲むことの可能性をまったく否定してしまうことだ。それにくわえて、お酒を飲まないのだとしても、お店でお酒ではないふつうの飲みものを飲むのだとしても、お酒と同じような飲みかたをしたとすれば、そこに危険性がおきることになるのがある。お酒であれば危険があるとは言い切れないし、お酒でなければ安全だとは言い切れないだろう。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一