交渉として見ると、自分だけ(の自己決定)ではなく相手の意思決定もまた関わるから、意思を確かめておくことは危機管理の点を含めて必要だというふうに見られる

 はっきりとした同意なしに性行為をするのは違法である。スウェーデンの法律ではそうなったのだという。法律になっているということは、具体の義務になったということだ。テレビ番組の出演者は、これにたいして、女性は(性行為の)途中でイヤァンと言うではないか、と言っていた。

 このイヤァンというのは、たんなる単語なので、一つの文にはなっていず、独立した発言だと見なせる。品詞で言うと、間投詞や感動詞に当てはまるものだろう。はっきりとした意味をともなっているとは見なしづらい。何がどう嫌なのかというのが定かとは言えない。具体の状況や文脈によってとらえなければならないものではあるが(本当の拒絶もあるかもしれない)。

 イギリスの警察がつくったという性行為にたいする注意をうながす動画では、性行為をお互いに紅茶を飲むことになぞらえている。むりに相手に紅茶を飲ませてはいけない。お酒が入っているときにはあとでもめごとになりやすいので紅茶を飲むのはひかえるようにする。こういったいくつかの注意を頭に入れておいて、じっさいに生かすようにすれば、(自由主義における他者危害の原則において)危害を加えてしまう危険性を下げるのに益になる。

 じっさいに紅茶を飲み合うさいに、その前にお互いに同意を確かめ合わないほうが、雰囲気を壊さないで盛り上がることができるかもしれないが、利益が高いぶんだけ危険性もまた高い。めんどうであったり、雰囲気が少し壊れて盛り下がってしまったりするところはあるかもしれないが、いちおう紅茶を飲み合う前に、お互いの合意を確かめ合うようにしたほうが、あとでもめごとになるのを多少は防ぎやすい。

 無理やりに相手に紅茶を飲ませてしまいかねないということを重く見ることは一つにはできるから、そこに眼目を置いた見かたをとることができる。これは、紅茶を飲み合うことで楽しむのをとりわけ重んじるのとはまたちょっとちがった見かただ。

 結果論としては、前もって紅茶を飲み合うことの意思を確かめておかないと、あとで必ずもめごとがおきるとは言えないかもしれない。結果論として大丈夫だということはある。結果論として大丈夫なことがあるからといって、前もって紅茶を飲み合うさいに、意思を確かめておくことがいることはたしかだ。前もって意思を確かめて、合意をとっておいたからといって、あとでもめごとがおきない結果をまちがいなく保証するとは言いがたい。

 合意をとっておくことは、必要条件ということであって、十分条件であるとは必ずしも見なせそうにない。必要条件とは言っても、結果論からすると、(合意をとっておくという)条件を満たさなくてもあとでまずいことが必ずおきるとは言えないが、条件を満たしたからといって、それでまちがいなく十分だということもまた言えないものだ。

 ものごとを理解するということは、そのことの最悪を見ておくことだと言われている(橋下徹氏の著書による)。車の運転でいうと、(大丈夫)だろう運転にはなりやすいが、(危ない)かもしれない運転には気が向きづらい。これを性行為に当てはめてみると、最悪のことというのは、あとでもめごとがおきるのや、加害と被害の関係となることだろう。それにたいしてあまりにも神経質になりすぎるのは、興がそがれてしまう欠点があるかもしれないが、紅茶を飲むということに置き換えてみて、相手に無理に飲ませないようにするというのは、危機管理からするといることだというのがある。

 参照文献 『最後に思わず YES と言わせる最強の交渉術 かけひきで絶対負けない実戦テクニック七二』橋下徹