お酒を飲んだり自宅にまねいたりすることは、事実であったとしても、それにたいして色めがねによって(こういう意味だというふうに)意味づけしてしまうと、誤解や思いちがいになりかねない

 自宅に男性をまねいてお酒を飲む。それは性行為について合意したことだ。テレビ番組で大学の教授はそう言っていた。じっさいには自宅ではなくて、外でお酒を飲んで、男性を自宅にまねいたのだということだった。

 自宅の外か内かでお酒を飲んで、男性を自宅にまねいたら、性行為について合意したことになるというのは、議論として見るとまずいものだ。お酒を飲んでいたり、自宅にまねいたりするからといって、それをもってして性行為の合意にいたったとすることはできそうにない。

 イギリスの警察がつくったという、性行為を紅茶を飲むことになぞらえる動画によって見ると、お酒を飲んでいたり、自宅にまねいたりしたからといって、紅茶を飲みたいという意思をもっているかどうかは定かとは言えない。自分が紅茶を飲みたいとしても、相手もまたそうかどうかは、確かめてみなければわからない。

 お酒を飲んで、自宅にまねかれて、それで相手に無理に紅茶を飲ませてしまう。合意があったからそうなったのではなく、合意がなかったためにそうなってしまったと見られる。誤解や思いちがいがあったと言うべきだろう。相手はこうだろうという単一の言外の思いこみ(アサンプション)を抜きにすることができれば、誤解や思いちがいを多少は避けやすい。

 参照文献 『実践トレーニング! 論理思考力を鍛える本』小野田博一