マスゴミと、情報の汚染―汚染と除染

 報道機関のことを、マスゴミと言う。このゴミのところを汚染ととらえられるとすると、情報が汚染されていると見なせる。

 すべての情報にはゴミが含まれていて、汚染されている。それは報道機関による報道だけに限られるものではないだろう。情報には作為性があるし、編集されている。そこには主体の意図が含まれる。

 汚染の度合いが高い情報は、ゴミの度合いが高い情報だ。ゴミそのものと言ってしまったら言いすぎになるかもしれないが、中には汚染の度合いがとても高いものがあるから気をつけないとならない。

 いまの首相による政権に属する政治家の言うことには、けっこうゴミが含まれていることが多い。なので、政権が言うことをそのまま報道機関が報じると、ゴミがそのまま垂れ流されることになってしまう。ゴミの度合いが高い情報が垂れ流されることになる。

 ウェブには真実がある、と言われるのがあるけど、これにたいしては批判が投げかけられることが少なくない。ウェブには必ずしも真実がないのは、そこにはゴミが少なからず含まれた情報が少なくないからだろう。汚染された情報が少なくないし、まったくゴミの含まれない純粋な情報はありえるものではない。

 白か黒かや一か〇かの二分法で見ないとすると、情報が汚染されているかそれともまったく汚染されていない純粋なものかの二つにきれいに分けられるものではない。ていどのちがいにすぎないことになる。

 報道機関というのは、もともとが内容が偏向している。偏向しているのとそうでないのとがあるのではなくて、もともと内容が偏向してしまう。それを避けられない。これは、もとからゴミがあって、情報が汚染されているのをあらわす。

 偏向していないのは、中立であることだが、中立は相対的なものであって、絶対的なものではない。不動のものではなくて、いかようにも動くものだという。どことどこをはし(両端)とするのかによって中立(中間)は動く。

 世界地図でいうと、日本では日本が世界の真ん中にあるが、世界からするとちがう。世界からすれば日本は世界の真ん中にあるのではなくて、極東に位置している。世界の真ん中で咲きほこるのではなくて、極東で咲きほこるというのが世界認識としては正しい。中立というのもまたそれと似たように、どこから見るのかでちがってくるものだと言える。

 報道機関にかぎらず、個人であっても、もとから偏向してしまっているのがある。内容にゴミが含まれていて、情報が汚染されていて、歪んでいる。それが小さいか大きいかのていどのちがいはある。

 いまの政権が言うことには、もとからゴミが含まれていて、汚染されていたり歪んでいたりすることが少なくない。それを報道機関の報道がそのままたれ流す。そうすると、そのままゴミが流されてしまうし、もっとひどいと増幅することすらある。とちゅうでゴミがとり除かれればよいのだが、それはきわめてのぞみづらい。マスゴミだと言いたいところだが、そのもとをさかのぼれば、いまの政権が悪いのだと言わざるをえない。構造の問題もまたある。

 参照文献 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『情報政治学講義』高瀬淳一 『ええ、政治ですが、それが何か? 自分のアタマで考える政治学入門』岡田憲治(けんじ)