フェイク・ニュースと、権力者による不当な定義づけと、権力者による虚偽意識(イデオロギー)の関連性

 フェイク・ニュースがはびこる。それと関わるものとして、このニュースはフェイク・ニュースだ、と定義づけをするのがある。じっさいにはフェイク・ニュースではないものについてまで、フェイク・ニュースであるというふうに決めつけることによって、フェイク・ニュースだという定義づけをするものだ。

 フェイク・ニュースと関わるものとして虚偽意識(イデオロギー)もある。このニュースはフェイク・ニュースだというふうに定義づけをすることには、虚偽意識が関わってくるのだ。権力者が自分たちに都合の悪いニュースについてをフェイク・ニュースだというふうに定義づけをするのは、おもに虚偽意識によるものだ。

 権力者による虚偽意識によって排除されるのがフェイク・ニュースだが、そのフェイク・ニュースとされるものが排除されるのは、権力者のことを批判していることによるのが大きい。権力者のことを批判するニュースや意見は、権力者から悪玉化されやすい。それで排除されることになる。権力者から一方的にフェイク・ニュースだと言いつのられることがある。

 権力者が自分たちに都合の悪いものを一方的にフェイク・ニュースだというふうに定義づけするのは権力の濫用だ。権力の濫用がおきないようにするために、表現や報道の自由が保障されている。表現や報道の自由において、権力者への批判が許されるが、権力者が自分たちへの批判のニュースや意見を不当に排除すると、その自由がほりくずされてしまう。

 フェイク・ニュースが報じられるのについては、気をつけないとならないし、できるだけ報じられないようであればよい。それとともに、権力者に都合の悪いニュースを一方的にフェイク・ニュースだと決めつけることはよくないことだ。そう決めつけるのは、権力者による虚偽意識と言ってよい。この虚偽意識は、フェイク・ニュースと似たようなものである。虚偽意識とは文字どおりに虚偽であるものだし、イデオロギーの語の由来は嘘ということから来ている。

 報道機関が報じることは、まったくもって正しいとか現実そのものということは言えず、何らかの偏向や認知のゆがみがはたらいていることは少なくない。それと同じように、権力者が言うことにもまた、嘘やごまかしが少なくはないのだ。どちらもともに、発せられる情報が多かれ少なかれ汚染されている。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学松永和紀(わき) 『情報汚染の時代』高田明