政権のやることへの反対の声と、世論かどうか

 ウェブでおきている反対の声は世論ではない。世論とは言えないものだ。与党である自由民主党の関係者はそう見なしているという。

 ウェブでおきている検察庁法の改正案への反対の声は、世論ではないということになるのだろうか。自民党の関係者が言うようにもしもそうであるとすると、首相が芸能人に便乗してとった映像にウェブで約三十五万のいいねがついたというのもまた世論ではないことになる。この三十五万のいいねがついたことについて、官房長官は会見でほこらしく語っていた。

 首相が芸能人に便乗してとった映像には三十五万のいいねがついたとされるが、ウェブでの検察庁法の改正案に反対する声は最大では四〇〇万や五〇〇万もの数にのぼっているとされる。ツイッターのツイートのハッシュタグの文言が細かく変わっていることから、正確な数は定かではない。

 ウェブでおきている反対の声は、自民党の関係者が言うように、世論ではないということではなくて、自民党が世論(の一部)をとり落としてしまっているだけなのではないだろうか。自民党が世論(の一部)を受けとめず、耳をとざしている。

 現実と虚偽意識と批判の三者の図式で見てみると、現実とぴったりとは合っていないのが自民党や政権だ。現実とずれていて虚偽意識と化している。虚偽意識と化していることによって批判がおきてくるが、その批判は自民党や政権にとってはひどくうとましい。できれば無いに越したことはない。なので批判は排除されることになる。ウェブでの反対の声は世論ではないというのは、このことを示していそうだ。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司