たとえ視聴率を稼げるからといって、国の権力や大衆に迎合して、国の権力や役人のやっているおかしなことを批判しないのは、報道機関は易きに流れているのではないか

 韓国人は、ずるい交渉術を用いることがあるのだと、産経新聞の記者は言う。それがテレビ番組の中で紹介された。韓国人は交渉において、強い言葉で威圧したり、周りにうったえて理解者を得ようとしたり、論点をずらして優位に立とうとしたりする。韓国人が一般的にそうなのだから、国や政府としてもそうすることがある。

 テレビ番組では、韓国の文化にくわしいという産経新聞の記者の言うことが紹介されていた。これを図式でとらえられるとすると、産経新聞の記者は報道機関に属するので、報道機関(に属する人)の言うことを報道機関が紹介した、と見なせる。大きく見れば、報道機関の情報だ。

 はたして、報道機関の言っていることを頭から信じることができるのかというと、それはできづらい。論点として、韓国人がどうかとか、韓国の国や政府がどうかというのではなくて、(日本の)報道機関の言うことを信じることができるのかというのがとれる。報道機関にかぎらず、日本の国や政府の言うことを信じられるのかというのもある。

 論点として、韓国(人)のことではなくて、日本の報道機関や日本の国や政府の言うことをすなおに信じられるのかというと、疑わざるをえないと言うしかない。中にはごくわずかではあるが、きちんと権力チェックの報道をしている報道機関はあるのはたしかだ。それをしているものは数としては多くはない。

 韓国の人や国や政府がどうかというよりも、日本の報道機関や国や政府や役人が言うことの信用のできなさのほうがより深刻だ。こちらの方を改めるのが先決だ。韓国の人や国や政府が嘘をついたりずるいことをしたりするということよりも、日本の報道機関や国や政府や役人が嘘をついたりずるいことをしたりすることの方を重く見ることができる。

 もし、嘘やずるいことをやるということをとり上げるのであれば、そこに韓国(隣国)のということをつけるのではなくて、自国や自民族のことをくみ入れることがいる。報道機関が報道の中で、韓国(隣国)の嘘やごまかしやずるさをとり上げるにしても、その当の日本の報道機関もまた、嘘やごまかしやずるさの加担者であることをまぬがれそうにない。日本の国の権力にすり寄ってごまをする以上は、日本の国や政府や役人が行なう嘘やごまかしなどに加担していることをあらわす。

 日本の国の権力が、嘘やごまかしやずるいことをやっているのに、そのことをまともに批判をしないようでいて、どうして韓国(隣国)のことをとり上げられるというのだろうか。嘘やごまかしやずるいことは確かにいけないことだが、その悪さをとり上げるのであれば、自国の強者である国の権力におかしいところがあるのなら、それを批判するのが何よりも先だ。それをするのを放ったらかしておいているのなら、報道機関の言うことに説得性が欠ける。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一