政治の権力者と追従者と、社会的知性―関係性と信頼性を検知する能力

 いまの時の政治の権力にとり入る。政治の権力に近づいて行く。それは、関係性を検知する能力に長けていると言える。

 社会的知性というのがあって、その中には関係性検知能力と信頼性検知能力の二つがあるのだという。

 関係性を検知するのは、人間どうしの関係のあり方をとらえるものである。この能力にすぐれている人は、空気を読むことにすぐれていることをあらわす。社会的びくびく人間だと言えるそうだ。

 社会的知性の一つである信頼性検知能力というのは、ある人が信頼できるかどうかをとらえる能力だ。これはじっさいに信頼できたりできなかったりするという経験を踏んで行くことで高まって行く。直接の経験だけではなくて、他人によるのや過去の間接の経験に触れることもまた役に立つだろう。

 いまの時の政権に近づいて行って、権力者と仲がよくなるのは、関係性検知能力にすぐれているとは言えるが、信頼性検知能力には劣っているのではないだろうか。

 時の権力者には、一般的に言って信頼できないところが少なからずあるはずであって、権力者を丸ごと信頼できるということはおよそありえづらい。批判することもまた欠かせないことだから、権力者に近づいて行って仲よくなるのは自分が取りこまれてしまいかねないから危険である。

 野党は反対勢力に当たるが、野党のことを頭からすべて信頼できないというのは極端すぎる。一般的に言って野党などの反対勢力がいることは社会にとって少なからず有益にはたらく。そのさい、与党の補完勢力となる野党は、反対勢力というよりも賛成勢力のようなものなので、そこからは除く。

 反対勢力がいると、ものごとが早く進まないといったマイナス面があることは確かだが、プラスの面があることも確かで、それもまた小さくない。全面的にと言うのではないにしろ、少なからず信頼できるのだ。なぜかというと、人間は誤りを避けられないからで、与党のやることが全面的に正しいということはまずおこりづらいからである。

 いまの時の権力者じたいが、関係性検知能力にはすぐれているのかもしれないが、信頼性検知能力が劣っているのかもしれない。アメリカなどの大国には弱くて、中くらいや小さい国の一部には強く出ているのは、大に事(つか)える事大(じだい)主義になっていることをしめす。信頼できるかできないかを必ずしも見抜けてはいなくて、関係性の中の力の強弱によって優劣を決めている。

 参照文献 『「日本人」という、うそ 武士道精神は日本を復活させるか』山岸俊男 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『できる大人はこう考える』高瀬淳一