野党はだめで、与党はまだましなのか―形式や立ち場の点から見てみる

 野党はだめだ。たよりにならない。そう言われるのがある。

 野党はだめで、与党はまだましだと言えるのだろうか。そのことを形式の点から見てみたい。

 実質として野党がだめかどうかは置いておいて、形式の点から見てみると、野党は周縁や辺境だと言える。与党は中心だ。

 辺境なのが野党であり、異端(heterodoxy)だとも言える。与党は正統(orthodoxy)だ。

 薬と毒の転化(pharmakon)からすると、与党をよしとするのは薬であり、野党は毒だ。薬が毒に転じたり、毒が薬に転じたりすることがある。与党をよしとするのが薬に当たるのだとしても、その薬が毒に転じてしまう。野党は毒だけど、それが薬に転じるのが見こめる。

 すぐれたものは中心や正統からは出てきづらい。歴史においてすぐれたものは、辺境や異端から出てくることが少なくない。辺境者や異端者は毒であり、その毒が薬に転じることで、すぐれたものが生み出される。

 中心や正統の危なさがあり、戦争につながることがある。ナチス・ドイツなんかは、われこそは正統なドイツ人だとヒトラーはしていたけど、それが戦争につながった。異端とされるユダヤ人が排除された。正統のあり方は、戦争につながりやすい。ナチス・ドイツに見られるように、正統から(正統だからこそ)戦争が引きおこされると言っても必ずしも言いすぎではないところがある。

 いま戦争をやっているロシアでは、ウラジーミル・プーチン大統領は正統に当たる。われこそは正統なロシア人だとしているのがプーチン大統領だろう。ロシアの中の辺境者や異端者を排除しつづけてきたのがプーチン大統領だ。正統が戦争をまねいているのが見てとれる。

 与党についてを見てみると、与党の中にも野党があるといえる。与党がましだといえるよりも、与党の中で野党の色あいがあるところはましだと言える。与党の中の野党の部分はわりあいましだ。

 与党の中にも中心と辺境があり、中心はだめだけど辺境は少しはましだ。いまの与党である自由民主党を見てみると、野党の部分がほとんどない。ましなところがほとんどない。

 自民党は正統をよしとするのがすごく強いから、世襲の政治家が多い。自民党に属する政治家は、戦争をあおっているのが強い。これは正統を強くよしとしすぎているところから来ている。正統を重んじているから逆にだめになっているのだ。

 戦争を防いで平和を築くには、辺境者や異端者をむかえ入れないとならない。辺境者や異端者をどれくらいむかえ入れられるのかがかぎだ。政党でいえば、野党が辺境者や異端者に当たるのがあり、わりあいましなところがあるものだ。

 与党の中での辺境者や異端者がいて、そのほかにその外に辺境者や異端者がいる。与党の中にも野党があり、その外にも野党がある。与党の立ち場に立つとだめになりやすいが、野党の立ち場に立つとわりあいにましになりやすい。形式の点からそう言える。

 与党よりも野党のほうをより大切にしたほうが日本は良くなりやすい。辺境者や異端者を大切にして行く。与党の中であれば、与党の中の野党をより大切にして行く。いまの自民党は、党の中に野党の部分がほとんど無くなってしまっているから、ましな部分がなくなっている。だめさが党の全体をおおっている。

 薬が毒に転じていて、毒がそうとうに回っているのがいまの自民党だと言える。毒を薬に転じさせることが行なわれていない。毒を薬に転じさせられるのが野党や反対勢力(opposition)だと言える。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『内なる辺境』安部公房(こうぼう) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木武彦 『異端のススメ』小池百合子 林修(おさむ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂