日本と韓国とのあいだの関係で、よいのはどちらで、悪いのはどちらか―複雑系と物語

 日本と韓国の関係が悪くなっている。それはぜんぶ韓国のせいだ。自由民主党菅義偉官房長官は、テレビ番組においてそう言っていた。

 日本と韓国との関係が悪くなっているのを、ぜんぶ韓国のせいにすることは、はたしてふさわしいことなのだろうか。そこには疑問を投げかけられる。

 日本の国は善で、韓国は悪というのだと、見かたが単純になりすぎる。もしもこれほど単純なあり方になっているのだとすれば、たとえ日本と韓国とのあいだの関係が悪くなっているのだといっても、それを何とかするのはわりあい簡単な話だ。どちらが善でどちらが悪かがはっきりとしているからだ。

 あるできごとがおきるとして、そのできごとがおきたことそのものは、単純化することができるとしても、その背景には複雑で微妙なことがらが色々と関わってくる。そうであることから、あるできごとがおきるのは、複雑系となっているのだ。

 悪いたとえではあるかもしれないが、車に人がひかれたとしよう。車に人がひかれたというそのことは、そこまでややこしいことではなくて、物理的に見れば動く物と人とが衝突したことになる。そのできごとがおきた背景を見てみると、たまたまある時点に、たまたまそこに車が走っていて、そこにたまたまその人が通りかかった。それで、間がぴったりと合ってしまったがために、車に人がひかれた。

 もしほんの少しでも、車か人かのどちらかの間がほんのわずかにでもずれていれば、そのできごとはおきなかった。そのできごとがおきるためには、じつにさまざまなものごとが関わり合っていて、それらの一つひとつが少しでもずれていれば、そのできごとはおきなかったかもしれない。そのことはおきたあとになってみれば必然であるとも言えるかもしれないが、偶然であるとも見られる。

 人が生まれることでは、それはどれくらいの確率で起きるのかというと、人という前に、生き物として地球上に生まれてくる確率は、一億円の宝くじが一万回ほど連続して当たるくらいのまれなことだとされる。さらに、生き物の中で人間として生まれてくるのは、もっと確率が低い。生物学者の木村資生(もとお)氏による。たまたま精子卵子が組み合わさって人間が生まれてくることになるが、それがじっさいに一つに組み合わさるまでの競争はとても激しい。

 できごとのうしろには色々なことが関わっているし、たまたまさや解きほぐしがたさというのがある。そこから、日本と韓国との関係が悪くなっているのを見るさいに、複雑系による見かたをとって見ることがいるのではないだろうか。日本の自民党官房長官がテレビ番組で言っていることは、あまりにも複雑系についてをくみ入れることがなさすぎるのだと言わざるをえない。

 複雑系についてをくみ入れるのであれば、日本と韓国とのあいだの関係が悪くなっていることを、ぜんぶ韓国が悪いのだとして、その原因を韓国にだけ押しつけることはできないのではないだろうか。悪くなったもとつまり原因は韓国にあるのだというのは、一つの物語だ。そのさいに、その物語では説明できないようなことがおきることがある。

 日本は善で韓国は悪だという物語で、現実をぜんぶ説明できるとは限らず、現実にはまたちがった結果がもたらされることがあるのが、複雑系である。読みちがえとか裏切りとかがおきて、負の結果がおきることがある。物語というのは多かれ少なかれ、限界がある人間の力では現実のすべてをとらえ切れないから、そこからさし引いて取捨選択したものだからだ。人間がとらえやすいように編集した結果が物語なのだから、ただ一つの物語によっているだけではまちがいがおきることが少なからずある。

 参照文献 『「複雑系」とは何か』吉永良正