被災した地への政治家の訪問は必要か : 必要性のあり無しと、許容性のあり無し

 被災した地に、政治家はすぐに行くべきなのだろうか。すぐにおもむくべきなのだろうか。

 じゃまになる。さまたげになる。うかつに政治家が被災した地に行くと、ほかの人のじゃまになりかねないから、行くべきではない。行くのだとしたら、時間がたってあるていど落ちついてからにせよ。そうした見かたがある。

 ぜったいに被災地に政治家は行くべきではない。そのように結論することはできないかもしれない。

 そもそも、政治家はすぐに被災地に行くべきではないのだろうか。もしもそうなのだとしたら、それは一つの価値観だ。

 ほかの価値観も持ち出すことがなりたつ。なるべく政治家は早めに被災地に行くようにして、じかに現場を見るべきだ。自分の目でじかに生の現場を見ることが益にはたらく。

 どういう価値観を持ち出すのかによって、結論がちがってくる。価値観がちがえばそこから出てくる結論がちがうから、二つより以上の結論をみちびくことがなりたつ。

 かりに、政治家は被災地に行くべきではないとする価値観を持ち出すのだとしても、あくまでもそれは一つの決まり(rule)にとどまる。一つの根拠づけにとどまるのである。

 一つの決まりを絶対化することができるのかと言えば、そうできないことがある。こんかいの能登(のと)半島の大きな地震でも、一つの決まりを持ち出してそれですむとは言い切れそうにない。

 根拠づけとしては、政治家は被災地に行くべきではないとすることができるけど、他にもちがう根拠があるかもしれない。ほかの根拠がかくれていることがある。かくれた根拠があって、それを見つけ出せれば、ほかのちがう結論をみちびき出せる。

 ちがう根拠ににぎり直す。根拠のにぎり直しができることがあるから、被災地に行くべきではないとされていても、ぎゃくに行ったほうが良いとなることがないではない。

 政治家が被災地に行くべきかどうかでは、根拠づけがたった一つだけとは言い切れそうにない。一つだけしか根拠がないのなら、結論が一つだけになる。一つだけに結論することがなりたつ。強い結論だ。

 つよい結論なのであれば断言することがなりたつ。こうだと断言できる。そこまで強くはない結論なのであれば断言はできない。たいていのものごとは断言することができないことが多い。ていどをふまえることがいる。こうだ(またはこうではない)、とあまり強調しすぎないことがだいじだ。

 いっけんすると根拠が一つだけしかないように見えたとしても、よくよく改めて見てみるとかくれた根拠が他にあることがあるから、そうなると他の色々な結論をとることがなりたつ。

 どういう決まり(rule)から、どういう結論(conclusion)をみちびくか。その過程(process)がある中で、被災地にすぐに政治家は行くべきではないとするのは、たしかに一つの決まりではある。一つの決まりであるとはできるけど、それを絶対化することができるとは限りそうにない。そうかといって、決まりとしてまったく悪いものだとは言い切れず、価値観としてまったくまちがったものだとはできないのがある。かんぜんに無価値とか負価値とか反価値とまではできづらい。

 決まりとなるものがあるのだとしても、それは根拠づけになるものの一つにとどまることがある。ほかにもかくれた根拠がいろいろにあることがあるから、それをとり落とさないようにしたい。ほかにかくれた根拠があるのなら、結論が一つだけではなくなり、ちがう結論をみちびけることになる。はじめの結論の強さは弱まることになる。強さが落ちる。

 参照文献 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『人を動かす質問力』谷原誠 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研(にしけん) 『中高生のための憲法教室』伊藤真(まこと) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『うたがいの神様』千原ジュニア 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『考える技術』大前研一