モリカケサクラの何(what)となぜ(why)―なぜなのかを問いかけてみる

 安倍政権は、どのように悪かったのだろうか。いまだに、安倍政権がなした不祥事や不正や疑惑(疑獄)を、いまにおいてとり上げる意味はあるのだろうか。むしかえすことに意味はあるのだろうか。

 安倍政権がなした不祥事としては、有名なものでは、モリカケサクラなどがある。森友学園のことや、加計(かけ)学園のことや、桜を見る会のことである。

 モリカケサクラは、たんに個別の不祥事としてあるとはいえそうにない。もしも、個別の不祥事であるだけであれば、それらを軽んじることもできなくはない。

 日本の国の悪いところが特徴的に出ているのがモリカケサクラである。日本の国の悪さとは、文学でいわれるカーニヴァル理論や、御霊(ごりょう)信仰や、互酬性(ごしゅうせい)だ。

 たんに個別のこととしてであるよりも、モリカケサクラには、日本の国の悪さがあらわれ出ているのがあるので、日本の国を批判するのに使える。日本の国を批判するのに有益だ。

 かりに、モリカケサクラは巨悪とはいえないような小さめの悪なのだとしても、その悪は、性格としては日本の国の悪さが関わっている。日本の国の悪さは、巨悪を生む。巨悪につながって行く。

 なぜ、モリカケサクラは、きっちりと解決されずに、うやむやなままになっているのだろうか。あいまいなままに終わってしまったのだろうか。それは、モリカケサクラは日本の悪とつながっているからであり、日本の悪にたいしての甘さ(自国への甘さ)が、モリカケサクラへの甘さになったのである。

 モリカケサクラの生みの親ともいえる、安倍晋三元首相は、なぜいまだに大きな影響力をもっているのだろうか。いまは首相でもないのに、与党である自由民主党の中で大きな力をもっている。

 安倍元首相が大きな力をもっているのは、悪の力によっている。日本における悪の力では、文学のカーニヴァル理論や、御霊信仰や、互酬性がある。これらを用いることによって力を持っているのが安倍元首相だ。

 カーニヴァル理論では、悪いものを定める。悪玉化する。民主党を悪とする。いまの憲法を悪とする。物価安を悪とする(アベノミクス)。悪とされるものは、冬の王であり、冬の王をやっつければ、春(夏)がやって来るのだとする。じっさいに、冬の王をやっつけたあとに、本当に春がやってくるのかは定かではない。

 いま野党によって言われている冬の王としては、消費税がある。冬の王をたおす、つまり消費税を減らしたりゼロにしたりすれば、春がやってくる。野党ではそう言われているけど、本当にそれで春がやってくるのかは必ずしも定かではない(確かではない)。

 カーニヴァル理論で、冬の王をたおすのは、疎外論の型(model)である。疎外論の型では、冬の王をたおし、春がやって来るとされるけど、その春が本当にやってくるのかにあやしさがある。春はずっとやって来ないで、春が遠ざかって行くおそれがある。冬の王を、悪玉化しすぎているおそれがある。悪そのものみたいにしてしまっていて、悪いものだと見なしすぎているおそれがある。(言われているほどには)そんなに悪くはないおそれもないではない。

 御霊信仰は、日本に古くからある信仰だ。死んで悪さをしでかしかねない霊を、ていねいにとむらう。霊のごきげんをとる。それによって悪い霊がよい霊に転じる。この霊は、死んだ人ではなくて、生きている人でもなりたつ。生きている霊、つまり権力者にごまをする。権力者を上に持ち上げる。これもりっぱな御霊信仰だ。日本では御霊信仰があるので、権力者のたいこ持ちが多い。

 互酬性は、益となるものを互いにやり取りし合う。益のやり取りのつり合いを取らないとならない。益を受けっぱなしではつり合いが取れない。益を受けたら、こんどは自分が益を与えることで、つり合いがとれる。益のやり取りの関係性ができてしまう。

 日本の国のことをきびしく批判するのであれば、日本の国がもつ悪さの影響を受けづらい。安倍元首相はその逆であり、日本の国にとても甘い。なので、日本の国の悪さの影響をもろに受ける。日本の国の悪さを悪用した。モリカケサクラには、それが見て取れる。安倍元首相の個人の悪であるよりも(それを超えて)、日本の国がもつ悪さに目を向けて、そこをきびしく批判することがいる。

 参照文献 『鼎談書評 固い本 やわらかい本』丸谷才一 山崎正和 木村尚三郎丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』河出書房 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『「Why 型思考」が仕事を変える 鋭いアウトプットを出せる人の「頭の使い方」』細谷功(ほそやいさお) 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『右傾化する日本政治』中野晃一