何によって、役人は自殺をしてしまったのか―野党の追及のせいなのか

 公文書の改ざん(書き換え)をさせられた財務省の役人が自殺をしてしまった。野党が改ざんを追及したせいで、役人が自殺をすることになった。そう言われるのがあるが、それは当たっているのだろうか。

 自殺をするのは、自分で自分を否定することだ。不健康な自己決定をすることで自殺をすることになる。健康ではない自己決定をするのは、それをうながすいろいろな要因がはたらくことによる。

 野党の追及が原因になって、不健康な自己決定がおきてしまったとは言い切れそうにない。あきらかに野党の追及が原因なのであれば、自殺であるよりも他殺と言えるようなことになってしまう。

 不健康な自己決定をすることになったおおもとには、公文書の改ざんをさせられたことが大きいものだろう。公文書の改ざんから派生して、それにたいする野党の追及が行なわれたのがあり、野党の追及と、不健康な自己決定がおきたこととのあいだに、明らかな原因と結果の因果の関係があるのかどうかは不明だ。

 役人が自殺をしてしまったのは、すでにもうおきてしまった現象だから、くつがえることがない結果である。その結果が何によっておきたのかは、すでに結果が出たことをふまえて、それにたいする原因をさかのぼっておしはかることになる。原因から結果への流れがおきたと言えるよりは、その逆に、結果があってそれにたいする原因をあとでふり返る。

 原因が先で結果があとなのではなくて、結果が先で原因があと(あと付け)の流れで因果の関係をとらえることがなりたつ。結果が出たあとで、それをさかのぼるかたちでしかとらえづらいのが原因だ。原因と結果のつながりは、目に見えるものではなく、抽象のつながりの関係だ。いろいろなものを切り捨てて捨象したかたちの物語のようなところがある。

 あることの結果がおきるのには、近い原因から遠い原因までが網の目のようにつながり合っている。ふつうはそれらのぜんぶをいちいち一つひとつ意識することはない。間接の遠い原因は、当のことにたいしてじかにはあまり意味がないから意識されづらい。ゲシュタルト心理学でいわれることからすると、目だちやすい図がら(figure)のところだけではなくて、目だちづらい地づら(ground)のところにも原因がある。

 ものごとのすべてが互いに網の目のようにつながり合っていることからすると、近いものから遠いものまでのさまざまなことが原因になっていると言える。あるものがあったとしても、それそのものが単独で実体としてあるとは言い切れず、さまざまなものどうしは互いに交通し合う。

 人間が生きるのであれば、外にある空気を吸ったり水を飲んだり食べものを食べたりすることがいる。政治でいえば、野党があるのは与党があるからだから、野党がそれそのものとして単独で実体としてあるとは言えそうにない。与党もまたそうだ。あるものをかりにその時点において野党と言ったり与党と言ったりしているのにすぎないし、本質としてあるのではなくて、人為の構築性によるものであり、関係の網の目の中のひとつのかりの結節点にとどまる。関係主義の点からするとそう言うことがなりたつ。

 生者と死者の点で見てみると、自殺をした役人はすでに死者になっている。その死者を、たやすく国の視点で見るのではないようにして、国によって意味づけされないようにしたい。戦争の死者は、英霊と言われるのがあり、国による意味づけに回収されてしまうが、そうすると戦争によって死者が損や害を受けたことが見えなくなる。

 戦争の死者を重んじるようにするのであれば、国による意味づけで回収するのではないようにして、英霊とはしないようにして、国によって損や害を受けたことを十分にとり上げて行く。国による意味づけで回収してしまうと、国にとって意味のある死だったとなってしまうが、そうしないようにして、国による個人にたいする加害があったことを浮きぼりにして行きたい。国家の公が肥大化したことによって、個人の私が押しつぶされた。

 戦争の死者を英霊とするのは、日本に古くからある御霊(ごりょう)信仰からきている。死者をていねいにまつり、死者のごきげんをとることで、マイナスのものがプラスに転じる。学者の柳田国男氏が見つけたものだ。この信仰は死者にかぎらず生者にもおきることだ。そのことが省庁の公文書の改ざんにも関わっている。改ざんがおきたのは、上の地位の政治家をそんたくしたことからおきたのがあり、これは生者にたいする御霊信仰からきているものだととらえられる。

 日本に古くからある御霊信仰がわざわいして、省庁で公文書が改ざんされることになり、役人が自殺することがおきてしまった。上の地位の政治家にたいするそんたくがはびこっていたことが悪くはたらいている。悪いあり方がいまでも引きつづいてしまっていて、改ざんの追及をした野党にまちがって責任がなすりつけられている。

 責任を上の地位の政治家がしっかりと引き受けず、無責任の体制になっていることから、いろいろな政治の不祥事がおきているから、そこを改めることがないと、不祥事がいつまでもくり返されて再発することになるだろう。

 御霊信仰で、上の地位の政治家をそんたくすることがはびこっているのをやめるようにして、そんたくがおきないようにすることが重要だ。与党である自由民主党が国の中で中心化されすぎているのを変えて、反対勢力(opposition)である野党がもっと活躍することがいる。それとともに、いかに死者を十分に重んじられるのかもまた求められる。風化させないで、想起しつづけることがいる。

 参照文献 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『事例でみる 生活困窮者』一般社団法人社会的包摂サポートセンター編 『丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』河出書房 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『創造の方法学』高根正昭 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき)