高級な役人や与党の政治家のことを信用しすぎなのではないだろうか(だましのカタリがあることが察せられる)

 かつては年金でまずいことがおきた。役人や政治家によって、年金の不正や流用が行なわれた。年金の記録のずさんさがあった。それはあくまで過去のことであって、いまはきちんとしている。みんながんばっている。テレビ番組で出演者はそう言っていた。

 過去には年金で悪いことをした人たちがいるが、いまの人たちは、その悪い人たちのぶんまでがんばっているのだという。それで、年金の制度にはとくにまずいところはないということだった。

 そもそも、年金について過去に悪いことをした人たちとは誰だろうか。それは、高級な役人や与党の政治家だろう。過去の悪いことは水に流して、それでよいというわけには行きづらい。責任が追及されないとならないし、要因を明らかにしないとならない。再発の防止の策がとられないとならない。でないと年金の制度に信頼を置くことができづらい。

 過去に悪いことをした人たちはいるが、いまの人たちはきちんとしている、ということの根拠はいったいどこにあるのだろうか。いまの人たちも、公文書の改ざんやねつ造や情報の不正な操作をしているのではないだろうか。

 〇か一かということではないだろうから、まったく駄目か、それともまったく大丈夫か、ということにはならないかもしれない。そのあいだの灰色を見るようにして、年金の制度や運用について、これまでに行なわれたおかしいことや、いま抱えているまずいところなどを、どんどんおもてに出して行くことがいるのではないだろうか。

 もしかりに、年金がまったくもって大丈夫だというのであれば、年金を批判するデモがいくら行なわれても大丈夫なはずだろう。びくともしないはずだ。だからデモを批判するのは当たらないのではないだろうか。年金が安泰なのであれば、年金を批判するデモが行なわれても、まずいことはないはずだ。

 参照文献 『大貧困社会』駒村康平(こまむらこうへい) 『年金は本当にもらえるのか?』鈴木亘(わたる) 『財政危機と社会保障鈴木亘