日本の国の合金性(amalgam)―外のものと融合(fusion)した国としての日本

 日本の一国だけによるのではない。日本とほかの国との関わりを見てみると、どういったことが見えてくるだろうか。

 日本とアメリカとのゆ着がある。日米の談合がある。

 日本とアメリカだけではなくて、そこに韓国の新興宗教も関わってくる。日米韓のゆ着がある。

 いまは日本の一国だけでやっていっているのではなくて、日米韓のゆ着によって日本が動いている。

 日米韓のゆ着によるのが、隠されている。あたかも日本の一国だけで動いているかのように見せかけられている。おもて向きは、まるで日本の一国だけでやっていっているかのようによそおわれている。

 日本とアメリカの協調だけではなくて、日本と韓国の新興宗教との協調もある。日本と韓国は、おたがいに対立しているかのようではあるけど、日本と韓国の新興宗教とのあいだでは、協調がおきているのである。

 日本と韓国との関わりは、対立しているところだけ見ると十分ではない。お互いに協調しているところもあり、おたがいに信頼し合えているのもあり、韓国の新興宗教は、日本の右派とおなじ方向性をもつ。

 かつての日本は朝鮮半島などを植民地として支配した。植民地主義によっていたのが日本だけど、いまでは日本はアメリカの植民地のようになっている。それに加えて、それだけではなくて、韓国の新興宗教に日本が介入されてしまっているのもある。

 いまは、韓国の国が日本を植民地として支配しているのではないけど、韓国の中の新興宗教は、日本に介入している。日本の右派は、韓国の新興宗教についてふれるのを避けている。なぜふれるのを避けているのかは不明である。

 アメリカは、一つの国とはいえないくらいに、いろいろな要素を抱えもつ大きな国だ。アメリカの中に(その中の一部として)、日本があり、韓国があり、といったところがある。アメリカを見てみると、独立した一つの国としての日本の幻想性が見えてくる。アメリカもまた、その中に色々な要素を抱えもっているのだから、独立した一つの国としては幻想だろう。

 日本の内ではなくて外を見てみると、外にはいろいろな国がある。日本の外が、日本の内を動かす。そうなっているのがあり、外によって動かされているのが日本だと言えそうだ。日米韓のゆ着によっているのが日本であり、日米韓の右派の連合のようになっている。日米韓の右派の連合が日本において中心化されている。

 日本が、内だけでやって行こうとしても、外によって動かされてしまう。日本の外にある、アメリカや韓国の新興宗教に動かされてしまう。日本の内で決めているようであっても、日本の外によって決められてしまっている。日本の内で決めていると言ってもよいし、日本の外が日本のことを決めていると言ってもよい。

 日本の内で決めることが、日本の外によって決められることをあらわす。内と外とがつながり合う。内が外であり、外が内であるのが日本だと言えるかもしれない。アメリカや、韓国の新興宗教などの、外とゆ着した形で、内外の複合体のかたちで日本の国はあるから、外をいっさい抜きにしたかたちの純粋な日本の内は無い。

 参照文献 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一現代思想を読む事典』今村仁司編 『右傾化する日本政治』中野晃一