ロシアとウクライナの戦争と、ロシアだから悪いことになるのか―ロシアに関わることだからすなわち悪いことになるのか

 ロシア語が使われているのはよくない。ロシア語を見るのは不ゆかいだ。ロシアが戦争をしているのがあることから、ロシア語がよくないものだとされるのがおきている。

 ロシアがウクライナに戦争をしかけていることから、ロシア語は使われないようにするべきなのだろうか。目につくところにロシア語があるのはよくないことなのだろうか。言葉だけではなくて、ロシアに属しているロシア人は悪いことになるのだろうか。

 ロシア語であるのや、ロシア人であるのは、事実に当たるものだ。何々であるの事実(is)から、何々であるべきの価値(ought)を導くのは、自然主義の誤びゅうだ。

 ロシア語やロシア人であることから、悪いのだとしてしまうと、根拠がそれほど確かではないから、独断と偏見におちいってしまう。

 いま戦争をやっているのがロシアだから、ロシアが悪いのはあるのにせよ、本質または客観にロシア語やロシア人が悪いとはいえそうにない。ロシア語やロシア人が悪いとするのは、構築性があるものであり、そこには疑問符がつく。

 ロシア語やロシア人にはいろいろな面があるのだから、一面だけを見るのではなくて、脱構築されることがいる。一面だけを見るのは構築性があることだから、それを脱構築して行く。ちがう面もいろいろに見て行く。

 事実と価値は分けて見ることができるので、たとえそれがロシア語であったり、ロシア人であったりするのだとしても、それは事実であるとは言えるが、価値はまた別の話だ。

 日本語であったり、日本人であったりするのは、それが事実だとはいえても、価値はまた別だろう。日本だからすごいとはいえないし、日本語だからすごいとはいえないし、日本人だからすごいとはいえない。

 日本語であるのや日本人であるのは、範ちゅう(集合)に当たることだけど、価値はいろいろにある。日本語の範ちゅうにあるからといって、何でもかんでも価値があるわけではない。日本語であっても、悪い価値のものはたくさんある。

 日本人であっても、悪い価値を持っていることは多い。日本人だからといって、すべての人がよいことをしているわけではなくて、何かしら悪いことをしてしまっているものだろう。純粋な善人はなりたちづらい。

 男性の範ちゅうにあるからといって、すべての男性がよい価値を持っているとはいえそうにない。女性の範ちゅうにあるからといって、すべての女性がよい価値を持っているとはいえそうにない。男性であってもさまざまな人がいるし、女性であってもさまざまな人がいる。

 ロシア語であったりロシア人であったりするのだとしても、それは範ちゅうに当たることではあるが、価値はいろいろにある。ロシア語やロシア人の範ちゅうにあるからといって、その範ちゅうの中がすべて同じ価値をもつわけではない。範ちゅうの中にはいろいろな価値があるのだから、価値についてはまた別に分けて見てみなければならない。

 範ちゅうと価値を分けないでくっつけてしまうと、日本人であれば、日本語だから悪いとか、日本人だから悪いとされてしまう。日本語であったり日本人であったりしても、その範ちゅうの中にはいろいろな価値があるのに、そのいろいろにある価値がくみ入れられない。範ちゅうの中にたった一つの価値しかないかのようにされてしまう。

 日本語が使われているのはあちこちにあるし、日本人は一人だけではない。日本語や日本人は、量(外延)としてはいっぱいあり、その質(内包)はよいまたは悪いとあらかじめ決まっているのではない。うまく使えば日本語はよいはたらきをもつし、よいことをすればその日本人はよい人だと言えるだろう。いっぱいある量の中で、よいものが部分的に含まれることになる。

 日本語や日本人は、質としてはあらかじめよいとか悪いとはいえない。ロシア語やロシア人にもまたそれが言える。ロシア語やロシア人だからそれが悪いとしてしまうと、質の見なし方がおかしくなる。いっぱいある量の中に、悪いロシア語の使われ方や、悪いことをしているロシア人はいるものだろう。それは日本語や日本人であっても同じだ。

 ロシア語やロシア人が悪いから、それらが否定されるのであるよりは、それらがいま可傷性(vulnerability)やぜい弱性を持っているのがある。ロシアが戦争をやっているのは悪いことだから、それをどんどん批判して行くのはよいことだけど、ロシア語やロシア人を否定したり排除したり攻撃したりしてよいことにはならないのがある。

 可傷性やぜい弱性をもつものを悪玉化して排除するのはよくないことなのだから、それはやめなければならない。ロシア語であるのやロシア人であることをもってして、日本の中で否定や排除が行なわれているのがあるのなら、それを行なっている日本人の行ないを批判することがいる。ロシアではなくて(ロシアとともに)、日本や日本人(の一部)を批判することがいることになる。

 参照文献 『知った気でいるあなたのための 構造主義方法論入門』高田明典(あきのり) 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦現代思想を読む事典』今村仁司編 『女ざかり』丸谷才一構築主義とは何か』上野千鶴子編 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明