日本の首相のことを世界がやめさせないというのは本当のことなのだろうか

 世界がやめさせないのが、日本のいまの首相だ。世界の大国の首相とまともにわたり合えるけうな人物が日本のいまの首相だという。政権に属する大臣はそう評していた。

 首相の外交の実力は、はたしてきわめて高いものだということができるのだろうか。それについては、間合いの点によって見てみられる。

 首相の外交の実力が理想と言えるほどにまできわめて高いのであれば、間合いでいうと、近かつ中に当たる。大国の首脳と近い間がらで、かつ(上下関係でいうと)対等である。

 じっさいの現実はどうなのだろうか。じっさいはせいぜいでもよくても近かつ下というくらいだろう。たとえ大国の首脳との間がらが近いとしても、お互いに対等ではなくて、上下関係でいうと日本は国どうしの力関係からすると下にならざるをえない。日本とアメリカとの関係で、はたして国どうしがお互いに対等なのかというと、とうていそうは言えないのではないだろうか。

 さらに現実を改めて見てみれば、近かつ下ですらなくて、遠かつ下であることもある。日本と他国とで利害関係がぴったりと完ぺきに合うことはないから、利害がぶつかり合えば間がらは遠くなりやすい。

 大国の首脳との間がらが近ければよいとは必ずしもかぎらなくて、たとえ近いといってもそれがうわべだけのものなのであれば、近かつ下になりかねない。お互いに対等な間がらにはならなくて、力関係に差があることから、力にものを言わせられることがある。

 東洋の陰陽思想では、陰が極まれば陽に転じるとされる。陽が極まると陰に転じる。間がらでは、近すぎるとかえって遠くなることがあるし、その逆もある。近ければ近いほどよいとは限らない。その逆に転じてしまうことがある。

 ほどほどな距離感があることも大事だから、そこが難しいところだろう。中庸であるのがよいのがあるし、中国の思想家の荘子は、君子淡交を好むと言う。濃いよりは淡いくらいのつき合いがよいというのだ。

 中くらいの距離感で、対等な関係を築くことができればつり合いがとれるが、それよりも近づきすぎたり遠すぎたり、上に見たり下に見たりということになると、不つり合いになることがおきてくる。

 参照文献 『間合い上手 メンタルヘルスの心理学から』大野木裕明(おおのぎひろあき)