国の長の呼びかたと間合い―さん付けで呼ぶことについての違和感

 ロシアの大統領のことを、ウラジミールと名前で呼ぶ。アメリカの大統領のことを、ドナルドと名前で呼ぶ。それにたいして、ロシアの大統領やアメリカの大統領は、日本の首相のことを、シンゾー(安倍晋三首相の名前)と呼ぶこともあるようだ。

 国の長のことをどういうふうに呼ぶのかは、間合いをどう取るのかに関わる。人のことをどう呼ぶのかというのと間合いの近さや遠さが関わるとされていて、政治であればそこから思わくが透けて見えてくる。

 首相がロシアの大統領のことをウラジミールとか、アメリカの大統領をドナルドと呼ぶのは、じっさいにすごく親しいというよりは、どちらかというと願望によるものだろう。

 じっさいにどれくらい間合いが近いか遠いかと、呼び名とがつり合っていればよいが、つり合っていないことがある。すごく親しいわけではないのに親しげな呼び名を使うのは、間合いがずれたものである。あえてずれさせて、間合いを能動的に調整していったり見せかけたりするのは技術だが、これは間合いをとるのが上手な人(間合い上手)によるものとされる。

 国内では、首相のことを、個人名で安倍さんというふうに言うのがあるけど、これについて個人としてはやや引っかかりをおぼえる。報道機関の報道で、出演者が、安倍さんはこうだとか、安倍さんはどうだとかと言うのがあるのだが、これだとあたかも首相が親しみのある人のように響く。

 さん付けで呼ぶのではなくて、氏とするか、首相や総理と呼んだほうが、一定の間合いが保てるので適している。きちんと国の長のことを批判的に見るためには、そこに最低限の敬意はいるものの(呼び捨てにしなくてよいが)、呼び名を含めて、つきはなしてしまってもよいだろう。細かいことだから、とるに足りないことではあるが。

 日本語と外国語とはちがうけど、外国語の報道だと、国の長であっても呼び捨てにしているのを見かけたことがある。外国語に通じているわけではないからくわしいことは分からないが、安倍首相であれば Abe と呼んでいることがあるし、アメリカのトランプ大統領なら Trump と呼んでいたのを見かけたことがある。これはたんに言葉のちがいからくることにすぎないものではあるかもしれない。

 参照文献 『間合い上手 メンタルヘルスの心理学から』大野木裕明(おおのぎひろあき)