五分五分ではなく、一〇対〇でもちょうどよいのではないか(非現実的ではあるかもしれないが)

 北方領土を四島ともに日本に返還してもらうのは非現実的だ。ロシアにそれをのぞむのは現実的ではないのだという。いまの首相による政権はそうしたことを言っている。

 ロシアにはロシアの、一〇〇パーセントのぞむことがある。日本には日本の一〇〇パーセントのぞむことがある。どちらの国においても一〇〇パーセントのぞむことが手に入ることは見こみづらい。とすれば、五〇パーセントくらいのところで手を打つことができれば、それは成功だ。意見としてそう言われているのがある。

 日本は一〇〇パーセントではなく五〇パーセントまたはそれ以下のことで満足するべきなのだろうか。五〇パーセントまたはそれ以下だったとして、それを成功と見なすべきなのだろうか。

 もとはと言えば、ロシアが戦争のどさくさの中で不法に日本の北方領土をうばいとったのだし、それ以外にもロシアは日本にたいして不法に悪いことをした。多くの外地(と内地)にいた日本人に物理の暴力をふるい、およそ六〇万人の日本人をシベリアに強制連行して強制労働につかせた。およそ六万人が死亡したと言われる。

 現実的かそれとも非現実かは置いておけるとすると、筋論としては、日本は一〇〇パーセントをのぞむべきだし、ロシアは〇パーセントであるべきなのではないだろうか。筋としては、日本は一〇〇パーセントのことを手にして当然であって、ロシアは〇パーセントとなるのが当然だ。

 非現実的なことをのぞむことはおかしいのはあるかもしれない。現実的にことを進めるほうがよいというのはあるだろう。現実的にことを進めるとして、日本とロシアのあいだでつり合いがとれるようになるのだろうか。もしつり合いをとるのだというのであれば、日本はできるだけ一〇〇パーセントを目ざすのは一つのあり方である。一〇〇パーセントになってはじめてつり合いがとれるからだ。

 日本が一〇〇パーセントをのぞまず、ロシアにゆずるというのなら、それはそれで悪いことではない。もしそうするのなら、大国であるロシアにそうするだけではなくて、大国ではない他国にもまた同じようにするべきではないだろうか。

 ほかの大国ではない国についても、日本は一〇〇パーセントをのぞまないようにして、柔軟にやり取りをし合うようにして、他国にゆずることをするようにする。日本が五〇パーセントまたはそれ以下のことしか手に入らないとしても、それはそれで現実的なのだからしかたがない。そうではなくて、大国(であるロシア)に弱腰なだけなのであれば、なぜ一部の大国にだけ甘いのかというのを言いたい。

 日本とロシアにおける北方領土についてのことを何とかするために、こうでなければならないというのではなくて、色々なやり方があってよいのはある。日本が何がなんでも一〇〇パーセントをとるのを目ざすのではなくてもよいだろう。どうするのかをとるさいに、途中や過程に十分に時間をかけないとならない。

 途中や過程において、どういったあり方がのぞましいのかをみんなで見ることによって、よりよいあり方が見えてくる。その途中や過程がなくて、よく分からないままに、いまの首相による政権が勝手に決めるのはどうしたことだろうか。選挙で選ばれているからといって、勝手に決めてよいのだろうか。

 いまの首相による政権が勝手に決めるにしても、それが正しいことであることを事前に説明しないのはなぜなのだろう。事後において、こう決まりましたとするのだとしても、途中や過程がつまびらかではない限りは、それが正しいことの根拠が確かにあるとは言えそうにない。決めた(決まった)ことが正しいことであるというのでは順序が逆だ。