野党の議員によるするどくきびしい質問―一方的に決めつけて攻める質問(修辞疑問)であれば、中にはよくないものもある

 野党の議員の質問は、質問というよりも罵詈雑言(ばりぞうごん)だ。首相はそのように言っていた。反論の機会を十分には与えられていないとも言っている。

 たしかに、野党の議員による質問は、えてして決めつけの質問になりやすいのはある。権力チェックをするための、権力の追及をする質問だからである。あらかじめ答えが決まっている修辞疑問であることがある。

 首相の言っていることを改めて見てみると、首相に反論の機会が十分に与えられていないというよりも、反証の機会がないというのがあるのではないだろうか。首相の発言がほとんど反証されていないで、ただ首相であるということだけをもってして、首相の言ったことがそのままの形でたれ流しのように報じられることが多い。あたかも首相が正しいことを言っているかのようなお墨つきを与えてしまっている。

 反論(の機会)というよりは、反証がほとんど行なわれていないから、もっと権力チェックが行なわれるようであればのぞましい。もっとファクトチェックに力が入れられるのであれば、色々なぼろがあることがわかってくる。まだ十分にぼろが見つけられていない。そうであることから、政治の権力がまんまと言い逃れをすることを許してしまっている。強引に逃げ切ることができてしまっている。詭弁や強弁がまかり通っているように映る。

 首相が言う、反論の機会が自分には十分に与えられていないというのも、反証することができるものだろう。反論の機会があるのにも関わらず、それができていないのだし、やる気もないのではないだろうか。かりに反論がしたいのであれば、公人であるのだから、一般の私人よりもより機会を多く持つことができるはずである。国会の中だけに限らず、説明の場を設けたり、報道媒体に出たり、ウェブで反論をあらわしたりすることができるのだから、もっと自分から説明責任を果たしたらよいだけである。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『レトリックと詭弁 禁断の議論術講座』香西秀信