桜を見る会についての首相の言いぶんが示された―うのみにすることはできづらい

 桜を見る会の疑惑について、いまの首相は説明を行なったという。記者たちに向けて二〇分間ほど弁明を行なった。

 会のことについて記者会見をして弁明をしたということなのだが、じっさいにはぶら下がり取材の域を出ず、話した相手の記者たちというのがまだ新米に近い未成熟な記者たちだったのだという。

 会について色々とおかしいところがあることが言われていることについて、説明責任を果たすことがいるが、まだそれがしっかりと果たされていないと見られる。首相が記者たちに向けて二〇分間ほど弁明をしたところで、その弁明の内容が十分なものでないのであれば、説明が不足しているのである。

 首相が会見において弁明したことは、あくまでもまだ暫定(ざんてい)の見解であるのにすぎない。首相が弁明をすることによって自分の見解を示したところで、それで問題が片づいたということにはなりそうにはない。

 首相が会見で示した見解というのは、まだかなりゆるいものであって、きちんとしたものではないから、大きな点や細かい点を含めて反証(否定)される見こみが小さくないものである。まだとうてい実証されたとは言いがたく、それにはほど遠い。きびしい試験(批判)の過程を経ていないからである。

 大きな点や細かい点を含めて、他からのきびしい批判にさらされるのでないと、首相がたんなる自分の(自分に)甘い見解を自分で示したのにとどまっている。これは、よっぽど確かな客観の証拠などの物質の裏づけを示したものでないかぎりは、うのみにはできないものである。甘い見解だと受けとれるものだから、そうとうに首相の個人の意図が大きく混ざりこんでいるおそれが高い。個人の意図が大きく混ざりこんでいるのは、汚染された情報だ。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『反論が苦手な人の議論トレーニング』吉岡友治