共産党が政権をとることと、ソヴィエト連邦のようになること―すでにソ連に近い(そんなに遠くない)のではないか

 共産党が政権をとったら、ソヴィエト連邦のような国になってしまう。ツイッターのツイートでそう言われていた。

 たしかに、ソ連共産主義を目ざしていた国で、一国社会主義独裁制となっていた。そこから連想できることとして、共産党が政権をとったら同じようになりかねないということだろう。

 現実として見ると、共産党が政権をとる確率はそうとうに低いのではないだろうか。それをうら返せば、政権をとる見こみがほとんどないからこそ、ただたんに政権をとりに行くことが自己目的化するのではないようなことが言えたりできたりする。権力と適した距離がとれる。そうしたところがある。

 共産党が政権をとらずとも、すでにいまの日本は(全面ではないにせよ)少なからずソ連のような国になっているのではないだろうか。極端に言えばそう見られるのがある。いまの日本は権力が分散しているのではなくて、一強や一権のようになっている。中央に集権したあり方だ。これはソ連のあり方に通じる。

 共産党が政権をとるのを待たなくても、ソ連とはそう遠くはないことに、日本の政治のあり方はなっているのだと見られなくはない。共産党が政権をとりさえしなければ、ソ連のようなあり方から遠く隔たるとは言い切れない。安心できないし、油断ができない。

 共産党を悪玉化していればそれで大丈夫だということにはなりそうにない。悪玉化することそのものも適したことだとは見なせない。まちがったことを言ったりやったりしているのなら、それを批判するのはあってよいことだけど、じっさいに権力をとっているのではないのに頭ごなしに否定するのは独断と偏見になりかねないから、避けたいところだ。好きか嫌いかという個人のそれぞれの好みまで否定することはできないが。

 参照文献 『封印される不平等』橘木俊詔(たちばなきとしあき)編著