労働の二極化と創造性のありなし―とくに政治の世界では、上や中心に創造性が欠けていることが少なくないように見うけられる

 労働が二極化している。創造性がいる職と、単純な労働の職に分かれている。この二つは、前者が高賃金で後者が低賃金となる。

 一九九〇年代から新しい経済がおきはじめた。それまでとはちがって、産業構造の転換がおきた。労働の多くがサービス業化されている。それにくわえてグローバル化がおきている。

 こうした流れがおきたことが、経済学者のロバート・B・ライシュ氏によって言われているという。

 日本の社会では、創造性がいる職についている人に、必ずしも創造性が備わっていない。そうしたところがあるのが、とりわけ政治の世界では言えるのではないだろうか。

 創造性がいる職についているのにも関わらず、非創造的になってしまっている。創造性をもっていなくて、それを発揮できていない。それによって、日本の社会がよくなることがさまたげられてしまう。

 創造性がいる職についているのであれば、それに見合うだけのしっかりとした創造性をもっていて、それを十分に発揮してもらいたい。そうであれば問題はないが、政治の世界や、報道媒体の世界なんかでは、色々な問題が山積している。上につく者が駄目なことが少なくないためではないだろうか。そうであるのにくわえて、上にずっと居座りつづけるからなおさらたちが悪い。新陳代謝がはたらきづらくなる。

 人によって色々な見かたがあるし、よしとすることがちがうから、これがよいのだというのを一方的に押しつけるのはよくないが、創造性のいる職についている人が必ずしも(求められる)創造性を持っていないことは少なくないように見うけられる。

 中心と周縁の図式でいうと、中心が非創造的なことが少なくなくて、周縁に創造性があることが少なくない。それをうら返していうと、創造性を少しでももつためには、中心に向かって行くのではなくて、逆に脱中心化して周縁や辺境に身を置いたりそこへ目を向けたりすることも手だろう。

 参照文献 『底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路』山田昌弘 『創造力をみがくヒント』伊藤進