政治家の謝罪と、その前につけるまくらことば―不要なまくらことばをつけている

 誤解をまねいたのであれば、謝罪をしたい。訂正をしたい。いまの首相による政権の副総理は自分の発言に関してそう言っていた。

 日本は二〇〇〇年もの長きにわたって一つの民族と言語と天皇がつづくただ一つの国だということを副総理は講演において言っていた。

 この発言については、じつは戦前に日本が帝国主義だったときに、そこで使われていた国定教科書では、日本は単一民族ではなくて多民族の国だと記していたようなのだ(『単一民族神話の起源』小熊英二による)。副総理の発言は、戦前の帝国主義のときの認識よりも後退してしまっているのではないだろうか。

 政治家が失言などをしたさいに、誤解をまねいたのなら謝罪をしたいということを言うことがあるが、これは改めて見れば違和感をいだく。というのも、これをそのまま受けとるのであれば、誤解をすることがよいことになってしまう。誤解をしたうえになおそれに加えて謝られもするのだ。これは誤解をすることがよいことだということを示している。

 誤解をまねくことが、謝罪をすることを含意しているのであれば、謝らないとならないが、そうとは言えそうにない。誤解をまねくことは、謝罪をすることを含意しているのではないので、やるべきことがあるとすれば、たとえば誤解をできるだけ解くようにするとか、なぜ誤解されているのかの要因を探るといったことがある。政治家などの公人であれば、対抗言論(more speech)をして、さらに説明を重ねるのがあってよい。

 たとえば、日本の言うことを韓国がもしも誤解したとすれば、日本はそれにたいして謝るのだろうか。いまの日本の政権はそれをするというのだろうか。そうとは考えづらいのだと言わざるをえない。

 誤解をまねくことと謝罪をすることとは、関わりがあるとは言えないから、誤解をまねいたのならそれにたいする対応をすればよくて、謝罪をすることがいるのならそれをすればよい。その二つを結びつけてしまうと、誤解をすることがよいことになってしまうし、そのうえでなお謝るというのだから、変な話になってしまう。

 参照文献 『知識ゼロからの謝り方入門』山口明雄(あきお) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦