カルロス・ゴーン氏は、日本で逮捕されていたが、そこから脱出することに成功した。いまはレバノンにいるという。
ゴーン氏の日本からの脱出の行動は是か非か。これを見るさいに、もし是だとするのならそれは自然法に当たり、非だとするのなら実定法に当たる。そう見られるのがあるかもしれない。
社会の中で、何が正しくて何が駄目なのかを明文などで定めているのが実定法だという。現にかくあるものだ。それとは別に、それとは離れて、何がのぞましいのかというのが自然法である。かくあるべきものだ。
ゴーン氏は記者会見を開いて、日本の司法などのあり方を批判していた。日本の司法や報道機関の報じ方や政治のあり方にはおかしいところが色々とある。国際機関からも日本の司法のあり方は人権を(一部で)侵害していると指摘されているのは無視することができない。
日本のあり方に色々な問題があると言えるとすると、それは実定法と自然法とのあいだに開きやずれがあることを示す。ぴったりと合っていない。その開きやずれがある中で、それでもそれにしたがうべきだとするのは、実定法をとるあり方だろう。ゴーン氏はそのあり方をよしとはせず、自然法のあり方をとった。もしゴーン氏のことを肯定することができるとするのなら、そういう見かたがなりたつ。
悪法もまた法だと言えるのか。実定法ではそれが問われるという。悪法の悪ということでは、そのどあいがある。ちょっとだけ悪いのか、中くらいに悪いのか、とんでもなく悪いのか。もしもとんでもなく悪いのであれば、こうであるべきだという自然法と、(現に)こうであるという実定法とのあいだに、とても大きな開きやずれがあることをあらわす。開きやずれが、無視しづらいくらいにあるということだ。
何でもフランスでは、制度の結婚よりも、じっさいの愛のほうが重んじられるのだという。それでいうと、ゴーン氏はフランスとも関わり合いがあることから、制度の結婚つまり実定法よりも、愛情つまり自然法を好むのがあるかもしれない。それが正しいことかどうかは客観には定かではなくて、色々な意見がなりたつのは確かだ。
参照文献 『法哲学入門』長尾龍一 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門』井上達夫 『倫理思想辞典』星野勉他 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘