評価することがちょっとだけ興味ぶかい―認知と評価と指令

 ものごとを評価する。日本人はそれができていないことが多いという。波風や角を立てないようにすることがよしとされているから、おもて立って自分が主体となって能動に評価づけすることが行なわれづらい。それよりもまわりの空気を読むことがよしとされがちだ。

 改めて見ると、評価というのは興味ぶかいものだと見なせる。かえりみてみれば、ものごとをふさわしく適した形で評価づけをすることは、あんがいできていないものだとふり返られる。まちがっていることが少なくないだろうし、まちがっていることに気がついていないこともまた少なくはないだろう。また、まちがっていることに気がついたとしても、それを修正できないこともあって、そのさいにはたらくのが認知的不協和の解消の心理のはたらきなどだ。

 評価に関わってくるのが、認知と指令だ。認知と評価と指令は組みになっている。文学者の丸谷才一氏はそう述べていた。ものごとをどういうふうに認知して、それをどう評価づけして、どのように指令するのかである。指令というのは、こうあるべきだとかこうあるべきではないというものだ。

 評価するさいにはすじ道が通っていることがいる。たんなる表面的な印象や実感をもつこととは異なっているものだという。どういう根拠によってどういう評価づけをするのかが明らかであるのがのぞましい。それが明らかであれば、適した評価づけかどうかを評価づけすることもまたなりたつ。

 あとで修正がきくように、留保をつけて相対化しておいたほうが安全だろう。何の留保もつけずに、絶対化する形で、ただたんにすばらしいとか、ただたんに駄目だとするだけだと、固定化しすぎることになりかねない。ものごとは時間によって変化して行くので、よいものが駄目になることがあるし、駄目なものがよくなることはまったくないことではないから、まったくもって不動だと言えるほどに確かだとは言えそうにない。よし悪しは基本としてていどのちがいによっている。

 参照文献 『働く大人の教養課程』岡田憲治(けんじ) 『三人で本を読む 鼎談書評』丸谷才一 木村尚三郎 山崎正和 『できる大人はこう考える』高瀬淳一