嫌韓に見られる、日本は優で韓国は劣という優劣関係の図式―優劣関係による階層の差の秩序と、対等な平等関係

 日本は正しい。韓国はまちがっている。そういうことで、嫌韓の内容のテレビ番組や表現が色々なところで行なわれている。韓国がどうした、こうした、ということで韓国についての否定のことを紹介している。

 嫌韓というのは、たんに韓国を嫌うことであるだけなのだろうか。そうではなくて、それだけにとどまらず、日本の国がどのように朝鮮半島やアジアを見ているのかをあらわしているものなのではないだろうか。

 もしも日本の国が、朝鮮半島やアジアの国々を、日本と同じような一つの国として対等にとり立てているのであれば、日本の国において嫌韓ということはそこまで大きくはおきないのではないだろうか。

 日本の国において嫌韓が大きくおきているということは、朝鮮半島やアジアの国々を日本は対等には見なしていない。もしも対等に見なしているのなら平等関係ということになるが、そうではなくて優劣関係で見ているのだ。日本は優で、朝鮮半島やアジアの国々は劣ということだ。

 朝鮮半島やアジアの国々を一まとめにするのは、くくりがそうとうに大きすぎるのはあるが、かつての日本は、日本を上として、朝鮮やアジアの国々を下にしていた。日本にとっての手段や道具ということで、日本の外に向かって植民地の支配を行なっていったのである。日本が帝国主義をとっていたときのそのあり方が、いまにおいても引きつづいているところがまったく無いとは言い切れない。

 嫌韓ということには、日本が平等関係ではなくて優劣関係をもってして朝鮮半島やアジアを見ていることがあらわれている。そう言えるのだとすると、韓国をはじめとしてアジアの他の国々について、日本にとっての手段や道具と見なすのではなくて、それぞれのアジアの国を目的と見なすようにして、平等関係にすることがいる。

 嫌韓ということを一つの現象としてとらえられるとすると、それがおきる要因にはさまざまなことが関わっているのはあるだろう。たった一つの要因によっているのではないだろうが、なぜ嫌韓や嫌中があって、嫌米はないのか。嫌露や嫌西欧はないのか。嫌韓や嫌中と同じくらいには、そうしたことはとり上げられてはいない。そこに、あつかいの不平等さがあることが見てとれる。嫌うというよりもむしろ、好米や好露や好西欧となっている。従米と言ったほうが適当かもしれない。

 ほかの国をどんどん嫌うようにせよというのではないのだが、特定の国をかたよって嫌っているのはいなめない。そうなっているのは、特定の国を不当に見下しているからなのではないだろうか。抑圧が移譲や転移するといったようになっていて、上からかけられる圧を下に押しつけることで、嫌韓がおきることにつながっている。弱いものや少数者にしわ寄せが行く。より肩身がせまくなって行く。

 じっさいに下というのではないが、日本にとって韓国は下だと仮定されているのがある。その仮定は少なからぬところにおいてまちがっていると言えるだろう。韓国のほうが日本よりも上なところは色々とあるだろうから。何もかも日本のほうが優れているとは言えず、劣っているところが少なからずあるものだろう。またはお互いに似たりよったりというのが少なくない。ちがうところもあるだろうし、同じところ(重なり合うところ)もある。

 参照文献 『アジア辺境論 これが日本の生きる道』内田樹(たつる) 姜尚中(かんさんじゅん) 『アジアから日本を問う』(岩波ブックレット) 姜尚中 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)