自主的に判断していると言うわりには、気骨や反骨というものがほとんど感じられない

 国会での野党の議員のふるまいについて、事実とは異なる報じかたを NHK は行なった。野党の議員からそのことを問われて、NHK の専務理事はまともには答えず、内容については十分に吟味して、自主的な編集判断にもとづいて報道しているとくり返し述べた。

 野党の議員を不当におとしめるような報じかたを NHK はしてもよいのだろうか。野党の議員が政権を批判するのは政権にとって都合が悪い。NHK は政権の肩を持ったり忖度をしたりして、編集のしかたで野党の議員が悪いことをしたかのような報じかたをするのはおかしいことである。それにくわえて、(NHK によって悪く報じられた当人である)野党の議員からの質問に NHK の専務理事はまともに答えていないのは、二重によくないことだ。

 NHK が二重によくないありさまであることから見てとれるのは、野党を軽んじて与党をとり立てて(持ち上げて)いることだ。NHK は、いついかなるさいにも、これから先もずっと野党を軽んじて与党をとり立てるつもりなのだろうか。そうであったらおかしいし、そうでなくても(一時的なことであっても)おかしいことである。政権を批判する野党の議員を軽んじることが、NHK にとっては倫理的なあり方であるとでも言うのだろうか。

 NHK が野党のことを軽んじて軽べつすることはふさわしいことではなく、するべきことだとは言えそうにない。野党の議員が政権を批判することで、政権にとって都合が悪いからといって、NHK は政権に加担してしまうのはまずい。

 倫理観においては、NHK は野党のことを軽んじるのではなく、愛と尊敬(尊重)をもつことがいる。与党や政権については、権威を持つからといって言っていることややっていることをうのみにするのではないようにしたい。(NHK が)正しく考えることに努めて、権力チェックを行なうようにする。

 内容について十分に吟味して、自主的な編集判断にもとづいて報じているとのことだが、これはとうていうなずけるものとは言えそうにない。どういう倫理観にもとづいて編集や報道をしているのかを明らかにして言うことがいる。それを示しもせずに、なおかつ専務理事は野党の議員からの質問にまともに答えてもいないのだから、ものごとの内容を十分に吟味して自主的な判断ができているとはとうてい見なしづらい。

 内容を吟味して報道したというふうに過去形にするのではなく、現在形にして、ふり返って報道のあり方を吟味したらどうだろうか。放映したものをしっぱなしにするのではなくて、いまからでも何回でも吟味することは可能なものだろう。吟味したつもりというのではなく、根源(ラディカル)において吟味することができるはずだ。

 参照文献 『「説明責任」とは何か』井之上喬(たかし) 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明 熊野純彦編 『正しく考えるために』岩崎武雄