外国から来た人や同国人を、安価な労働力としてこき使うようでは、日本の社会に明るい未来があるとは言えそうにない

 党として、移民を受け入れることはない。首相は、自由民主党としてと、政権として、移民を受け入れるつもりはないとテレビ番組で言っていた。

 移民を受け入れるつもりはないと首相は言っているが、現に日本の社会の中には、多くの外国人がすでに入ってきている。移民は受け入れないと言っても、すでに多くの外国人が日本の社会の中にいるのである。それをどうするのかが見えてこない。

 聞くところによると、入国管理において、きわめて非人道的なことを、日本は外国人にたいして行なっているという。これはあってはならないことだろう。その点については、個人的にあまりくわしくないのがあるので、あまり踏みこんだことは言えないのはある。

 移民を受け入れるかどうかは、色々な意見があるから、こうだというふうに一つにしぼることはできそうにない。それとは別に、共生をどうするのかを見るのがあればのぞましい。社会の中で、日本人と外国からやってきた人とが、たがいに共生することができればよい。

 共生をして行くのはそこまで易しいことではないだろう。易しくはないが、やることに価値があるものだと見なすことができる。これをやることにより、社会の中にあるさまざまな負の問題を何とかするための手だてにつなげられる。

 いまの日本は、必ずしもみなが生きて行きやすいようにはなっていない。その一つの原因として、少数者や弱者に温かい救いの手がさし伸べられていないことがある。自己責任として放っておかれてしまっているのがある。すべてがそうなっているということではないが、少数者や弱者の人のうちで、ひどく生活に困っている人は少なからずいるものだろう。その人たちに、温かい救いの手がさし伸べられていず、自己責任として自分のせいということになってしまうのは社会のあり方として冷たい。

 外国からやってきた人を含めて、社会の中で、多数派だけではなく、少数派や弱者がもれなく生きやすいようになればよい。そのためには、多文化の共生ができるようにして行く。そこを目ざしてほしいのがある。もうすでに共生ができているのかといえば、まったくできていないというのではないだろうが、まだほど遠いのがある。理想にとどまっている。現実には、差別や排斥がとられているのがあるので、それを少しずつなくして行くことができればよい。移民をすぐに受け入れるのではないにしても、差別や排斥を社会の中から少しずつ払しょくするのはやらなければならない。