首相が中止を求めても五輪は開かれるのか―グローバル化の影響

 日本の首相が五輪の中止を求める。その求めがもしもあったとしても五輪は開かれる。国際オリンピック委員会(IOC)の関係者はそう言っているという。

 IOC の関係者がいうように、たとえ日本の与党である自由民主党菅義偉首相が五輪の中止を求めたとしても、その求めは聞き入れられずに五輪は開かれることになるのだろうか。もしもそうであるとすると、そのことをどのように見なすことができるだろうか。そこにはグローバル化の影響が関わっているのがあるかもしれない。

 グローバル化しているのがあるために、国の権力は自国を制御することができない。自分たちで自分たちの国を制御することができない。それが五輪をひらくことの中に見てとれそうだ。

 国民が主権を持っていることからすれば、主権者である国民が自分たちの国のことを制御できるのでないとおかしい。自分たちで自分たちの国を制御できないとおかしいから、あたかも制御できるかのようによそおっているのが国の政治の権力だ。自国のことを自国で制御できるかのようによそおってはいても、じっさいにはそれはできていない。たんによそおっているだけなのにすぎない。

 見かけ上は国の政治の権力が自国のことを管理して制御する力をもつ。見かけとしてはその力を持っているかのようではあるが、じっさいにはその力を持っていない。見せかけの力なのである。見せかけの力をほんとうの力であるかのようによそおっているのにすぎない。

 そもそも自分たちの国とはいったい何なのかといえば、それは共同幻想だ。ほんとうに実体として自国があるとは必ずしもいえず、虚構によるのがある。それが見てとれるのがアメリカのいまのありようだろう。アメリカでは正式に民主党ジョー・バイデン氏が大統領についているが、そのことを認めないで、いまだにドナルド・トランプ前大統領がほんとうの大統領だ(であるべきだ)としている人がいるのだという。

 アメリカにおいてバイデン大統領を正式な大統領だと認めない人がいるのは、国が虚構であることによっている。国が虚構であることがグローバル化の影響によってあばかれていて、国の政治の権力が自国のことを制御する力を十分に持っていないことがあらわになっている。その力をむりやりにでも力づくにでも持とうとしているのがトランプ前大統領だ。強引にその力を持とうとしているのである。

 自国と他国を分けるのは国境の線引きだが、その線は自然のものであるよりは人工のものだ。人工の線が引かれていることに必ずしも絶対の必然性はない。偶然性によるところがある。グローバル化の影響によって人工の線の安定が崩れているところがあり、不安定になっていて、線が溶けていっている。もともと線は自明なものではないことがあばかれている。

 国の政治の権力が持っている力がどんどん失われている。それをむりやりにでもとり戻そうとしているのがアメリカのトランプ前大統領には見てとれそうだ。力をとり戻そうとしても、とり戻すことはできづらい。力をとり戻すことがよいことだとは言い切れない。力を失っているのにもかかわらず、力があるかのように見せかけたり、力をとり戻せるのだとしたりするのは正しいことだとは言えそうにない。だますことにつながる。

 国の政治の権力が力をもつのが絶対論のあり方だが、力を失って行くのは相対論のあり方だ。グローバル化の影響によって相対論のあり方になっているのにもかかわらず、そのことを認めようとしないで、絶対論によっているかのようによそおう。絶対論によっているかのようによそおうのは見かけだけのものであり、じっさいには国の政治の権力は力を失っているところがあるので相対論によっている。

 国の政治の権力は、いろいろなことに対応する力を失っているのがあり、できることよりもできないことのほうがより多いかもしれない。無力さをかかえているのが国の政治の権力であり、相対論によるあり方になっているが、それを認めてしまうと人々からの支持がとたんに離れていってしまうので、あたかも絶対論によるあり方であるかのように見せかけている。力を持っているかのように国の政治の権力は見せかけていないと、人々からの支持が離れていってしまう。

 国の政治の権力が力を失っていることのしるしの一つに財政のぼう大な赤字がある。国の政治の権力が力を持っていないから、財政の赤字がたまりつづけて行く。国を一人の人に置き換えてみると、一人の人が借金をしつづけて行くのは、その人が力を失っていることによる。たくさんの借金をかかえていて、借金をしつづけている人がいるとすると、その人のことをいったい誰が力を持った頼もしい人だと見なすだろうか。それと同じことが国にも言えるだろう。

 うわべの見せかけによってたとえ人々からの支持は得られるにしても、じっさいの力は失っていて、複雑な現実のありように応じて行く力を国の政治の権力がもっているとは言えそうにない。外からの力に動かされてしまう。グローバル化の影響によってそうなっているのがある。国が虚構のものにすぎず、実体としては無いものなのがあるが、何らかの幻想にすがらないと人は生きては行けないのがある。自分の自我の支えとなるような幻想がいり、そのひとつが国に当たる。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『一冊でわかる グローバリゼーション a very short introduction』マンフレッド・B・スティーガー 櫻井公人(きみひと)、櫻井純理(じゅんり)、高嶋正晴(まさはる)訳・解説 『相対化の時代』坂本義和 『唯幻論物語』岸田秀 『境界線の政治学杉田敦