アメリカの大統領選挙や愛知県の県知事を辞めさせる運動で不正が言われているが、不正はどういったときにおきやすいのだろうか―大きい正義をかかげているときにおきやすい

 アメリカの大統領選挙で不正が行なわれた。アメリカのドナルド・トランプ大統領はそう言っている。

 日本では愛知県の県知事を辞めさせる運動が行なわれていたが、その運動で不正があったことがわかったという。署名を集めていたが、その中で数のかさ増しが行なわれていたそうだ。一人の人が一回のところが、一人の人が何人分(何十人分、何百人分)もの署名をしていたうたがいがもたれている。

 アメリカの大統領選挙と日本の県知事を辞めさせる運動とは次元がちがうものではあるが、これらのことで不正が行なわれていたとされるさいに、それはどういったことからおきやすいものなのだろうか。

 不正がおきるさいには、大きな正義がかかげられるさいにそれがおきやすいのがある。これは哲学者のテオドール・アドルノ氏とマックス・ホルクハイマー氏がいっている啓蒙の弁証法によって見てみられる。啓蒙の弁証法では啓蒙が野蛮に転化することがあるのだとされる。よいとされることが悪いことに転化する。カルト宗教などでよく見られるものだ。

 二〇世紀の人類の歴史は、理想郷(utopia)が逆理想郷(dystopia)に転化するものだった。utopia の語はギリシア語からきていて、ou はどこにもないを意味して、eu はよいを意味して、topos は場所を意味するという。それらが合成された語だ。理想郷を目ざしていたのがその反対物にあたる逆理想郷に転じた。ナチス・ドイツや日本の天皇制の帝国主義などに見られた。

 アメリカのトランプ大統領は、アメリカをふたたび偉大にする(Make America great again)といったことを言っている。国家主義(nationalism)だ。これは大きい正義に当たるのだと見られる。こういうものをかかげていると不正がおきるもとになるところがある。かならず不正がおきるとは言い切れないが、大きい正義がもとになってそれが転化することで悪がなされることがある。

 トランプ大統領のことをよしとするものに新興宗教がある。中国系や韓国系の新興宗教の団体はトランプ大統領のことをよしとしていて強くおしている。これはトランプ大統領が大きい正義をかかげていることから来ているのだととらえられる。新興宗教もまた大きい正義をしばしば好む。それが進むとカルト宗教になる。

 大統領選挙で不正がおきたのにちがいないと言っているのはトランプ大統領の側だから、トランプ大統領の側である共和党の陣営が不正をしたのだとは見られていない。ジョー・バイデン氏の民主党の陣営や支持者が不正をしたのだとされている。その図式がある中で、それを固定化させないようにして、ゲシュタルト心理学でいわれる図がらと地づらの関係を反転させて見てみたい。

 図がらと地づらの関係を反転させて見られるとすると、不正をしたとされるものとして、バイデン氏の側だけではなくて、トランプ大統領の側にも焦点を当てられる。トランプ大統領を図がらに当てはめることがなりたつ。

 二つの陣営がたがいに競争し合っているのだとすると、そのうちで一方の陣営が不正をすることができるのであれば、もう一方の陣営もまた可能性としては(理論上は)不正を行なえる。そう言えるとすると、一方だけしか不正ができないとする大前提の価値観にはやや首をかしげる。どちらかだけの陣営を図がらにして焦点を当てるのではなくて、どちらの陣営についても図がらにして焦点を当てられそうだ。

 どういったものが不正を引きおこしやすくて、どういったものが不正を引きおこしづらいのか。それはいちがいに言うことはできないが、一つには近代の自由主義(liberalism)による遵法の精神(compliance)をよしとするほうが不正を引きおこしづらい。社会関係(public relations)を重んじて、説明責任(accountability)を果たして行く。それらを軽んじて、自由主義や遵法の精神などどうだってよいのだとすると不正を引きおこしやすい。

 自由主義や遵法の精神はおだやかなものだから、大きな正義をかかげるものとはややちがう。西洋の中世の十六から十七世紀に宗教戦争で不毛な争い合いがあって、その反省からいろいろな個人の自由をよしとするようになった。個人の自由をよしとする中でものごとを行なって行く。個人の自由をよしとする制約条件がある中でものごとをやって行く。そこから正義をかかげるのだとしてもその大きさはどちらかといえば小さいものになる。

 大きな正義をかかげてしまうと、自由主義や法の決まりなどどうだってよいのだとなってしまうことがある。自由主義や法の決まりは制約の条件としてはたらくものだから、そうしたものは邪魔くさいものだとしてとり払おうとする。そうするとそこから大きな正義が転化してしまい悪となる不正がおきることがある。

 不正がおきづらいようにするためには、抑制と均衡(checks and balances)をはたらかせて、科学のゆとりをもつようにして行く。非効率ではあるかもしれないが適正になるようにして行く。そうするのとはちがい、てっとり早く効率をよくやって行こうとすると、抑制と均衡がはたらかなくなり、科学のゆとりを持てなくなる。そこから不正がおきるもとにつながって行く。

 哲学者のジョン・ロールズ氏の言うところによれるとすると、不正とは善が悪に転化することによるのがある。かならず善が悪に転化するとは言えないのがあるが、さまざまないくつもの善の構想が社会の中にあるうちで、何か一つだけの善をよしとすると、正が壊されてしまう。正よりも一つの善だけが優先されてしまう。

 正が壊されてしまうとさまざまないくつもの善の構想が社会の中にあることが許されなくなり、たとえば国家のことをよしとすることだけが許されるようになってしまう。国家のことをよしとすることではないことが許されなくなる。それで国家がおかしな方向に向かってつっ走って行く。

 不正をできるだけなさないようにするためには、いたずらに大きな正義をかかげないようにして行く。自由主義や法の決まりをしっかりと守って行く。小さい正義によるようにして、少しずつものごとを微調整して行くようにする。生ぬるいのはあるのはたしかだが、そういうふうにやっていったほうが手がたくやることができるので不正を少しは防ぎやすいだろう。大きな正義をかかげたいのはやまやまだが、その誘引(incentive)をどれだけ抑えられるのかがある。その誘引には魅力があるいっぽうでわながあるから、そのわなに引っかからないようにしたい。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『老荘思想の心理学』叢小榕(そうしょうよう)編著 『啓蒙の弁証法テオドール・アドルノ マックス・ホルクハイマー 徳永恂(まこと)訳 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『論理的な思考法を身につける本 議論に負けない、騙されない!』伊藤芳朗(よしろう) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし)