自然災害の被害と、これからの日本の社会―人口の減少と高齢者の増加

 台風が来て、千葉県をはじめとして大きな被害が出ている。電気が通るようになるまでにはまだかなり長い時間がかかるところがあるという。

 今回の台風の被害では、たんに自然災害によってひどいことがおきたというだけではなくて、日本の少子や高齢社会によって、これから日本の国の人口がどんどん減って行き、高齢者がどんどん増えて行くこととも関わってくるのだと見られる。

 これからの日本の国は、少子や高齢社会となることが進んで行って、国の人口がどんどん減って行く。国の中で、どこの地域もみんな平等に社会基盤を整えて行くことができづらくなる。戦後に経済が大きく成長していたときにはそれができたのだが、これからはそれができにくくなって行くのだ。それぞれの地域が平等に社会基盤を整えられるようにするだけの、配れる利益(お金)がかつてのようにはもはや無い。

 自然災害がおきて、それによってもたらされた被害について、その事後においては復旧に力が入れられることがいるし、それにたずさわっている人たちはたいへんな苦労をしていることだろう。また、がまんを強いられている人たちも多くおきている。できるだけ早めに生活がもとに戻ることがのぞましい。

 直接の被害とは別の話ではあるが、これから人口が減って行って、高齢者がますます増えて行く社会となることを見こして、どういう国のあり方にするべきかというのは避けては通れそうにない。そのことについて話し合うことがあまりまともに行なわれていないようなのが心配だ。これから先の、人口の減少と高齢者の増加をめぐるやっかいなことがらに目を向けることについて、時の政権は避けて通ってしまっている印象だ。

 たんに、国土を強くするといった国土強じん化なんかのかけ声を言っていても、それで何とかなるものだとは言えそうにない。なにしろ、国の人口そのものが減って行って、高齢者がどんどん増えて行ってしまうのだから、それをふまえてきちんと現実に根を下ろした政策をさぐるようにするべきではないだろうか。

 そもそもの話としては、日本人の一人ひとりが、どのように生きて行くことがのぞましいのかという、生活をめぐる理念についてまで見て行かなければならない。どういうふうに生きて行くことがのぞましいのかといったことだ。いまの時の政権やいまの与党は、国民にたいしてのぞましい理念というのを示せていないように映る。理念が不在なのだ。無責任体制になってしまっているのがある。

 これから日本の国の人口が減って行って、高齢者がどんどん増えて行くのは、なかなか避けづらい現実だ。人口の推移の予測というのはそれなりに精度が高いものだと言われている。これからの社会をどうするのかという点については、以下のことがあげられる。

 もはや日本のそれぞれの地域に、かつてのように十分なだけの利益を配れるゆとりは持てないから、めりはりをきかせるようにして、(どこもくまなくというのではなくて)選択と集中をする。これは、地域を切り捨てるというよりは、人を集中させて効率性を高めるコンパクト・シティなどの構想が唱えられていることを言ってみたものだ。

 戦後において、経済が大きく成長していたときには、利益を与えてそれを受けとるという給付が行なわれていた。これからはそういった給付を行なうゆとりが無くなって、逆にどのように負担(不利益)を分担し合うのかが問われて行く。少子と高齢の社会になれば、それによってもたらされる負担や不利益があるが、それをみんなでどうやってふさわしく痛み分けをして行くのかだ。

 マクロでは、どのようにして行くのがよいのかということについて、たった一つだけではなくて、いくつもの選択肢を示して、それぞれの利点と欠点を明らかにして、その中から国民がふさわしいものを選ぶ。ミクロにおいては、国民がそれぞれで生き方を好きに選べて、選んだ生き方によって不当に差別されたり優遇されたりしないようにする。そういったふうなあり方がとれる。

 参照文献 『子どもが減って何が悪いか!』赤川学 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『空き家問題 一〇〇〇万戸の衝撃』牧野知弘(ともひろ) 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』河合雅司(まさし) 『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』増田寛也(ひろや)