愛国心と恋愛を比べてみる―愛されたいという思いの強さと弱さ

 日本の国を愛するのはよい。愛さないのは悪い。こうしたことがあるさいに、かりに、日本の国は(人などから)愛されたがっているとおしはかれる。

 国における愛国心と、人どうしの恋愛をひき比べてみたい。この二つに共通点があるとすると、それは、たとえ人から愛されたがっているとしても、必ずしも愛されるとは限らないという点だ。

 もしかりに、人から愛されたがっているだけで、それで恋愛がすぐになりたつのなら、その思いが強いだけでこと足りる。愛されたいという思いが強ければ強いほど、恋愛がなりたつことに結びつく。

 じっさいにはそうではなくて、思いが強いことでかえって逆効果に働くことがあるということが、いぜんラジオの番組の中で言われていた。思いが強いのがよいのではなくて、むしろ思いを弱めるくらいがちょうどよいのだ。思いが強ければ、がつがつしているのがはた目から分かってしまう。それだとゆとりがないしよくないのだ。がつがつしているのが分からないくらいに、思いは抑えめにしたほうが、功を奏しやすい。

 恋愛で言えることが、国についてもまた言えるのではないだろうか。国もあまり、自国民や他国民から愛されようとは思いすぎないほうがよい。愛されなくてもとくによいのだというくらいのほうがかえってよい。自国民や他国民にたいして、国を愛するべきだということで、愛されたいという思いが強すぎるのは、逆に国が嫌われるもとになりかねない。思いは抑えるようにして、愛されても愛されなくてもよいし、(すべての人から嫌われるのは除くとして)少しくらい嫌われてもよいのだというくらいのほうが、大人のあり方だ。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ)