一億総活躍社会をなすのだと首相は言う―社会とは別に(それよりも前に)国会が総活躍にはなっていないように見うけられる

 一億総活躍社会をなす。首相は国会の演説でそう言っていた。このことについて少なからぬ違和感をいだいた。

 首相が演説の中で触れていたが、少子高齢社会であるのが日本で、その中で人口が減って行くことが避けられない。人口の移り行きの予測は、さまざまな予測の中でもけっこう精度が高いものらしく、それからすると、日本の人口は一億人を割ることになる。なので、一億総という言い方は言えなくなることになる。外から人をまねき入れるのでない限り、一億未満となる。

 首相が言う一億総活躍をするよりも前に、まず国会における国会議員の総活躍がいるのではないだろうか。国会が総活躍とは言えなくなっている。多くの国会議員が十分には活躍できていないのではないだろうか。無理やむらやむだが多い。

 国会においては、同じ国の政治家どうしであるのにもか関わらず、浅くはない不信がはびこってしまっているように見うけられる。政治家どうしがかみ合った意思疎通ができていないことが多い。建設的で生産的な議論が行なわれづらい。議論よりもじかの行動がよしとされがちだ。この点については、まだるっこしい議論よりもじかの行動のほうがよいのだという人がいるかもしれないが。

 日本の社会の縮図のようなものが国の国会だと言えるとすると、そこで政治家のみなが分け隔てなくまんべんなく総活躍するのとはほど遠いありさまになっているのだとすればまずい。これを放ったらかしにしているのがいまの首相による政権だろう。これでは日本の社会がよくなるのぞみを持ちづらい。のぞみの持ち方は人それぞれによってちがってくるだろうが、一億総活躍という標語がむなしく空虚なものとして響かざるをえない。

 参照文献 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』河合雅司(まさし)