力強くたよれるオオカミではなく、力は弱いヒツジでまともであるほうがよい(強者と貴人のちがい)

 与党が駄目なのだとしても、野党はそれと同じかそれよりも駄目だ。野党は国民から支持されないのだから、どうしようもない。

 そういうことも言えるだろうけど、いま必要なのは、たよれる与党や、たよれる国の長や、力強い野党なのだろうか。国民から支持される野党であることがいるのだろうか。それとはちがう見かたがとれる。

 いま必要なのは、与党や国の長が貴人であることだ。貴人というと、徳治主義のように響くかもしれないが、そうではないものだ。これの意味するところとしては、権力の地位にれんれんとしがみつかないようであることがいるということだ。権力を牛耳らないようにすることがいる。

 いまの与党である自由民主党や、いまの首相による政権は、貴人のあり方とは反対だと言ってもさしつかえがない。いまの与党やいまの政権が、貴人とは反対のあり方になっていることから、日本の社会や国民の豊かさにはつながらないようなことをやってしまっている。

 貴人であるというのは、力を持っている頼もしいオオカミということではない。ヒツジとしての連帯をとるものである。オオカミは強くて、ヒツジは弱いから、ヒツジはたよりにならないというのはあるが、そうであるから逆によいというのがある。国民の一人ひとりが、経営者のようになって、公共の美徳をもてれば、国の全体にとってよくはたらく。そのためには、国民の生活に少なくとも最低限のゆとりがないとならないのはあるが。

 参照文献 『貴人論 思想の現在あるいは源氏物語』宮原浩二郎 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一 植田俊太郎訳