日本すごいと、変態(メタモルフォーズ)と変項

 日本すごい。これについてやや違和感を覚えるのは、日本という国について、変態(メタモルフォーズ)や変項で見られるからだ。

 日本はすごくないということで、そう言う人のことを反日売国だと言うとしても、そこにおいて、日本が固定化したものだというのを必ずしも意味するものではない。

 日本にすごくないところが色々ある(あった)のだとしても、変態していって改まって行けばよいのだし、固定化したものとして日本がすごくないと言っているとは限らない。

 日本というものが固定化しなくて、流動するものだとすれば、それと相関するものである、反日売国というのもまた、固定化させないで見られるものだ。反日売国もまた変態するものである。

 変項ということでは、日本の国や、反日売国という記号は、その記号表現(シニフィアン)にたいして、どういうものをさし示しているのかの記号内容(シニフィエ)は、人それぞれによってちがう。客観の定項ではないということだ。わかりきったものであるとか、すべてが明らかになっている、ということは言えないものだろう。不明なところが少なからずある。

 参照文献 『哲子の部屋Ⅲ “本当の自分”って何?』千葉雅也監修 『記号論』吉田夏彦