隠れて減点するというのは手段としておかしいし、目的とするところもおかしいものだと見なせる

 大学の医学部医学科の一般入試で、女性の受験者の得点を一律に減点していたという。隠れてそれをやっていて、たまたま明らかになったので報じられることになった。これは当の大学だけにかぎらず、ほかのところでも行なわれているとされていて、また医療だけにかぎらないとも言われている。

 大学の言い分としては、女性は離職しやすいので医師に向いてないということのようだ。これを根拠にして、女性の受験者の得点を一律に減点して、合格者を全体の三割ほどにおさえていたという。

 この言い分を改めて見ると、根拠としてあげられているものはおかしいだろうし、根拠をもとにして行なっていたこともまたおかしいものだろう。男性に比べて女性はさまざまな要因で離職しやすいのはあるかもしれないが、だからといって医師に向いていないとは言いがたい。女性や男性を一般化するべきではないだろうし、工夫をすることにより対処することができるものだろう。

 大学の医学部の受験で女性に不利な採点が行なわれていた問題は、日本の社会のあり方を象徴しているものだと言ってもよい。個人としてそう見なしたいのがある。その理由として、ほかの日本よりもすぐれた国のあり方を見て、そこからよいところをとり入れようとする姿勢が欠けているのがある。日本のまずいあり方を改めようとする気がなく、そのまま引きつづけることを暗黙の前提条件にしてしまっている。日本だけに特殊なのではなく、ほかの国でも似たような問題を抱えているのなら、そのうちの成功の例を参考にすることができる。

 医学部の話だけではなくて、これはほかのさまざまなことにも言えることであると言ってよい。日本はすごいとか、よい国だとかというのはさかんに言われているのがあり、それを言うのをまったく止めろとは言わないが、日本のほかにすぐれた国はたくさんあるのだから、そうしたところからよいところをとり入れたらよいのになというのがある。それをしようとするのがなく、ただ日本のことをすごいとかよいとか言っているのだと、いま抱えている日本の社会の悪いところを改めるのにはつながらない。

 日本にすごいところやよいところがまったく無いというわけではないだろうが、単体で日本がすごいとかよいというのはないのだから、日本をやたらに持ち上げてみてもしようがない。自と他を比べて、自のよくないところや他のよいところを見て、他のよいところをとり入れられればよい。現実にはそれとは逆に、自のよくないのやおかしなところをよしとして温存して、他のよいところをまるで見ようとしていない。自閉していることにより、開かれていず、あまり自と他を比べようとしていないのがある。独話になっていて、対話がとられていない。