国会を開くよりも、選挙をやったほうがよいのか―あり方の改善の必要性

 多くの国民は国会を見ていない。だから国会を開いてその中で与野党の政治家どうしが話し合うよりも、選挙を行なう。そのほうがよいのだと、与党である自由民主党の政治家はテレビ番組で言っていた。国会を開くのよりも選挙をやったほうが、国民に注目されやすくて、より国民が関心をもつから、選挙をやったほうがよいのだとしていた。

 自民党の政治家がテレビ番組で言うように、国会を開くよりも選挙をやったほうがよりよいと言えるのだろうか。国会よりも選挙のほうがより国民が注目して関心をもつと言えるのだろうか。

 たしかに、自民党の政治家が言うように、多くの国民が国会を見ているとは言えそうにない。国会での与野党の政治家どうしのやり取りを、生の形で国民が見ることはできづらい。テレビの中継などを介して見るのにとどまる。すべての国民が国会にくぎ付けになったら、ほかの社会のいろいろな活動が止まってしまうから、社会の運営にさしさわりがおきてしまう。

 民主主義にとって選挙は大事なものではあるが、それをやることがいついかなるさいにも大事なのかといえばそうとは言えそうにない。どういったときであったとしても選挙をやるほうがよいとは言えないから、どんな状況のときであったとしても正当化できるとは言えないのがある。選挙をやるよりも国会を開いたほうがよいときは少なくないだろう。国会は国権の最高機関であると憲法の第四十一条では言われている。

 たとえ選挙をやったとしても、国会と同じようなまずさがあると言えないではない。多くの国民が国会を見ないのと同じように、多くの国民が選挙で投票を行なうのだとも言えそうにない。合理の無知や合理の棄権がおきてしまう。投票率が低いことがおきる。民主主義のぜんまいが十分に巻かれることがない。

 たんに国会を開くとか、たんに選挙をやるといったことではなくて、よりよい国会のあり方にしていったり、よりよい選挙のあり方にしていったりする。そういったことがいるのだと言えそうだ。国民から政治を遠ざけて、国民を参加させないようになっているところが国会にも選挙にもある。

 どちらもともにいたらなさやまずさを抱えているのが国会と選挙にはある。民間の自動車会社のトヨタ自動車で行なわれているように、国会と選挙について、さまざまにある問題を見つけて行く。いっけんすると問題が見つからないようであれば、見つかるまでしつこく探して行く。なぜの問いかけをくり返し投げかけるようにして、問題の核となる要因を見つけて行く。核となる要因にたいして手を打つ。

 トヨタ自動車で行なわれているような改善がなされることがいるのが、国会と選挙にはともにある。いまのところ、改善がほとんど行なわれていないままだ。よりよくできるところをどんどん改めて行き、政治をよりよくして行く。

 既成事実が重みを持ちやすくて、それまでのあり方をなかなか改めづらいのが日本にはある。既成事実に弱いのが悪くはたらくことによって、国会や選挙がよりよいあり方に改まらないままになっている。

 きびしい見かたをすれば、日本の国の政治は悪いあり方に落ちていってしまっていて、右傾化が進んできている。ゆでがえる現象がおきているのがあり、そこを何とかするためには、より高次の学習(higher-level learning)をなすことがいる。これまでのあり方による慣習を引きつづきこなして行くだけではなくて、あり方を根本から反省して見直して行くことがいる。

 参照文献 『政治学入門』内田満(みつる) 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『右傾化する日本政治』中野晃一 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら)