会議の議事録を残さないことと、鉄の三角形の強化

 自由な議論を行なってもらう。そのために会議の議事録はつくらないようにした。新型コロナウイルスの感染の対策を担当する大臣はそう言っていた。

 大臣が言っているように、会議を開くさいには議事録を残さないほうが自由な議論になるのだろうか。そのほうがよりよい議論になるのだと言えるのだろうか。

 大臣が言っていることを目的と手段に分けて見てみられるとすると、それぞれが何なのかがある。政治においては、目的は国民の益になるためなのがあり、そのためにどういう手段をとるのかが探られる。

 国民にとって益になるためにの視点が抜け落ちてしまっていると、会議の出席者のためにとって益になるという視点がとられるはめになる。政治家と役人と利益団体による鉄の三角形が強められることになり、国民のことがないがしろになってしまう。鉄の三角形を強めることが目的になり、そのための手段がとれらるのだとすると、目的と手段のどちらもおかしい。

 あとになってわかるように記録を形にして残しておかないと、その場の空気によってものごとが決められてしまう。日本の政治では空気によってものごとが決められてしまうことが少なくなく、それでひどいことになったのが戦前や戦時中だろう。

 お上が主となってしまっていて、国民が主となることができていない。お上が主となっていることから、国民には知らせないでもよいだろうとか、関わらせないでもよいだろうということになる。決まったことにただ従ってもらうだけでよい。既成事実に弱いことが悪用されている。

 どういうことだったのかをあとでたどれるように、過程の記録を残しておくことが役に立つ。決まったことと同じかそれより以上に過程が大事だから、意思決定の過程がはっきりとわかるようにしておきたい。そこがきわめて不透明になっているのがこれまでのあり方だから、そのあり方を改めるようにする。そうしないと、空気によって決められることが行なわれつづけ、無責任の体系となりつづけて、国民に害がおきることが行なわれつづけてしまう。お上が主となるあり方が改まらず、国民が主となることをのぞみづらい。

 新型コロナウイルスの感染を担当する大臣とは別に、防衛相は、過程はどうでもよくて、決まったことがあくまでも大事なのだということを言っていた。防衛相が言うことをそのまま受けとるのだとすると、過程はどうでもよいのだとすれば、決まったことがとんでもなくおかしいことであったとしても、決まったということだけをもってしてよしとしなければならなくなる。

 何かを決めるさいに、最終には決定がなされるが、それがよいかどうかは実体に当たる。実体の質がどうかは、それを決めるまでの過程によって決まるところがある。実体の質があらかじめあるのではなくて、過程にいかに労力をかけて、きちんと開かれたあり方の中でやることができているかどうかがものを言う。

 決まったことの実体の質のよし悪しは独立してあるものとは言えず、どういうふうにして決められたのかが関わってくる。どういうふうにしてのところのとちゅうの道のりが透明で開かれたものであることがいる。そこが閉じてしまっていると、実体の質に負の影響がおきる。とちゅうの道のりがどうだったのかをあとで客観にたどれるような手がかりが残されていれば、実体の質がとんでもなくおかしいことになることを防ぐ有効な保険になる。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』内田樹(たつる)編 『国家と秘密 隠される公文書』久保亨(とおる) 瀬畑源(せばたはじめ)