核兵器による抑止力は、それほど確実なものとは言いがたいような気がする(抑止力が否定されるのではないにせよ)

 戦争のさい、アメリカは日本に、原子爆弾を投下した。それとは別に、原子爆弾が投下されなかった現実はない。歴史に、もしもの仮定は基本としてはないからである。現実におこってしまった(そうであった)ことは、おこったかおこっていないかのどちらかだ。

 そのうえで、かりに仮定をもち出すことができるとする。もし太平洋戦争において、日本が自前の核兵器をもっていたとしたら、アメリカに原子爆弾を投下されずにすんだのではないか。原爆による被害を受けずにすんだことがありえる。そうした意見がある。こうしたことがあるので、日本も核兵器による自衛をとる道もあるというのである。

 たしかにそうかもしれないのはあるのだが、ちょっと疑問に思ったのもたしかだ。かりに日本が自前の核兵器をもっていたとすれば、アメリカから原爆を投下されずにすんだのはありえるかもしれない。しかしそれと同時に、そもそも日本とアメリカは戦争中であるのだから、戦っているさなかにおいて、抑止力としての核兵器はそれほど意味をなさないような気がする。当時の日本は、自分たちを神国としたり、アメリカやイギリスを鬼畜米英と呼んだりしていたくらいだから、冷静な計算による判断を期待することはちょっとできづらい。

 ゲーム理論をもち出すとすると、日本とアメリカは、それぞれ自分たちの核兵器を使わないようにしようとするのがありえる。しかしそれだけではなく、ほかの可能性もありえる。戦争中であるのなら、日本とアメリカがおたがいにそれぞれの核兵器を使うといったおそれもありそうだ。それによって両国が破局的な打撃を受け、へたをすると存在が消滅する。

 抑止力としての核兵器を選択肢のうちの一つとして打ち出すのは、必ずしも否定されることではないかもしれない。少なくともそうした議論はあってもよいのだろう。そうではあるのだろうけど、それと同時に、兵器をじっさいにもったとすれば、それを使うための理由を生み出すことになるのもある。今まで使われてこなかったのだとしても、それはこれから先に使われないことを保証するものとは言いがたい。たまたまといったこともありえるだろう。そうしたところがはなはだ心配である。