ウイルスの危険性がどれくらいのものかを見積もるしかたのちがい―危機管理においてはそうとうに危険だと見なしておくのは益になる

 新型コロナウイルスの危険性をどのくらいに見積もるのがよいのか。危険性が高いと見なすのから低いと見なすのまである。低いと見なすのでは、風邪ていどのものなのだから大したことはないもので、気にしないでよいというのがある。

 危機管理の点からすると、新型コロナウイルスについてをそうとうに手ごわいものだと見なしておくのは有効だ。色々な見なし方ができる中で、楽観論や悲観論があるが、悲観論の利点がある。楽観論には利点だけではなくて欠点もあり、大したことはないと見なしてしまうと、ウイルスを見くびることになる。ほんとうは手ごわいものであるさいに、それを見落とすことになる。認知のゆがみがはたらく。

 ウイルスについて高をくくってしまうと、それが外れたさいにまずいことになる。あまりよいたとえではないが、戦争でいうと、敵が大したことがないとすると、自分たちの気がゆるんで負けることがある。自分たちの力を過大として、敵の力を過小とすることで日本は過去の戦争に負けた。見こみよりも敵が強かったさいに手の打ちようがなくなる。

 日本の戦争のさいには、それに踏み切る前に、日本の上層部は日本の力よりも敵の力のほうがずっと高かったことをわかっていたようだが、それでも戦争につき進んでいった。戦争につき進むことを止められなかった。軍部が暴走していたことによる。国民には敵のほんとうの力を知らせず、情報を統制しつづけた。日本は神の国だからまちがいなく戦争には勝てるとしつづけて、大本営発表をしてごまかしつづけた。神州不滅として、日本が戦争に負けると言えば非国民あつかいされた。

 政治の選挙のさいには、楽に選挙に勝てるとしてしまうと落選することがあるのだという。かりに楽に選挙に勝てるのだとしても、そう見なすことがあだになることがあるから、つねに負けることをくみ入れていないとならない。嘘であってもよいから、負けかねないとしてはっぱをかけておく。負けて落選するおそれが高いとしておくことで、気が引きしまることになり、それがよくはたらく。

 自動車の運転では、事故はおきないだろうとする、だろう運転はのぞましいものではない。事故がおきるかもしれないとする、かもしれない運転を心がけておく。大丈夫だろうとする、だろう運転ではなくて、危ないかもしれないとする、かもしれない運転をするくらいでちょうどよい。

 株の投資では、ほかの人は投資がうまく行かなくて損をするのだとしても、自分だけは大丈夫だとすることがある。自分だけは損をせずにうまく行く。自分だけは例外だとする。じっさいの株の投資は難しい世界だから、そうかんたんにもうけることはできず、損をすることが少なくない。損をしても勉強代だと見なすこともできるが、ほかの人だけが損をするのではなくて、自分もまたその例外ではなかったことをあらわす。

 ウイルスについてをどのように見なすかでは、ウイルスがとてもやっかいな手ごわい敵であり、最悪とも言えるくらいの大きな力をもつのだと見なしておく。そう見なすようにすることで危機管理としては益にはたらくことになる。

 じっさいには大したことがないこともありえるわけだが、大したことがないと見なすことで気がゆるんでしまい、敵にやられてしまうことがなくはない。気を引きしめるようにするためにも、そうとうにやっかいで手ごわいものだとしておくことはまったく益にならないことだとは言えそうにない。

 アメリカでは、ウイルスを深刻なものだと見なして用心する知識人のあり方と、それを大したことがないと見なすドナルド・トランプ大統領のあり方とで分裂がおきているのだという。大統領は大衆迎合主義によっていて、ウイルスを敵と見なすよりも、知識人を敵だとしているようである。

 アメリカにおける二つのあり方では、気を引きしめておく点では、知識人のあり方は正しく、大統領のあり方はまちがっているところがある。知識人のあり方だと、敵となるウイルスはやっかいで手ごわいものだとなり、気がゆるみづらい。大統領のあり方だと、敵は大したことがなくて楽に何とかなるとすることになるから、それが裏目に出たときに危ない。知識人のあり方だと経済が回らない(回りづらい)欠点はあるだろうが。

 参照文献 『最後に思わず YES と言わせる最強の交渉術 かけひきで絶対負けない実戦テクニック七二』橋下徹 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一